第11回 故郷の歴史同好会の報告

 

開催日時:201833() 15:00~18:00

テーマ:「千曲川スケッチと島崎藤村」(発表:小林慶三様)

 

「千曲川スケッチ」と島崎藤村について、小林慶三様にお話しいただき、しばらく忘れていた「文芸の世界」に引き込まれました。小林様ありがとうございました。

島崎藤村が田沢温泉ますや旅館に逗留したのは、「千曲川スケッチ」や「老嬢」の作品に掲載されてから、文学好きの東京の女性客(常連様)が発見して教えてくれたものと理解しています。もし逗留された時に有名な作家様と分かっていたら、なんぞ書き残してもらっていて、それが今頃ならお宝になっていたのではないでしょうか。

 

その後は、いつものように美味しい料理においしいお酒、殊に橋詰さんの差し入れてくれた信風上田の岡崎酒造「亀齢」は美味でした。ありがとうございました。

 

さて、次回は721日(土)に、山口様の青木学校時代の話をお聴きしながら、青木村の教育事情などについて語り、また楽しい時間を過ごしたく存じます。610日(日)総会・集う会、78日(日)は「美と美」の会と予定されておりますが、歴史同好会もよろしくお願いします。

 その後は、秋、高橋様に「長野県人のルーツ」、さらに宮原清明様にお話しいただく予定です。

 

10回 東京青木会「故郷の歴史同好会」のご報告

 

開催日時:12月2日(土)15:00~18:00

参加者は最終的には10名。出席者: 尾和(弘)、山本、山口、小林、金谷、宮原(清)、沢村、尾和()、櫻田、宮原(豊)

尾和弘様から青木村の「交通と通信」についてご報告いただきましたが、明治時代からの村の交通・通信の歴史が、参加者各人が青木村で過ごした時代の記憶にも結び付くので、その後の会話も弾みました。

その中で、「二線路」の名前の謂れ、農林業(養蚕業)を基盤とする経済発展と商業(小売・販売、旅館)や運輸、通信サービス業などの分野で青木の人々がいかにチャレンジングで起業家精神に富んでいたか(商売っ気)を感じることができました。明治から大正時代を経て、特に昭和の時代に入ってからは(特に戦争の時代には)せっかく伸びていた民間産業分野は停滞していたように思いました。木炭車、薪炭車とか、名前は懐かしいですが、苦しい時代を思い起こさせます。

なお、次回(11)は明けて201833(土曜)に開催します。テーマは、「千曲川スケッチと島崎藤村」(発表:小林慶三様)です。よろしくお願いします。その次は月日未定ですが、「分教場の頃の思い出と青木村の教育事情」(発表:山口操様)を予定しています。


その間に、東京青木会は1217()に役員・顧問会議、218()美術と美食の同好会が予定されています。そして610()の総会(集う会)を前に、その準備のために3月〜5月は役員会等が開催されると思いますが、この「故郷の歴史同好会」も合わせ青木会を盛り上げていきたいと思います。よろしくお願いいたします。

 

 

9回 故郷の歴史同好会報告

 

テーマ:「青木村の成立」、「平成の大合併に対する当時村長の私見」

発表者:尾和剛一様

 

日時:2017916日(土)15001800

場所:湯島「味の上田」

出席者:15名(順不同、敬称略):丸山、尾和剛一、尾和弘、高橋、小林、山口、金谷、宮原清明、櫻田、沢村、深見晴恵、富田幸枝、増田邦男、山本、宮原豊

 

報告内容:

 明治22年市町村制が施行、村松郷、田沢村、奈良本村、沓掛村、夫神村、殿戸村の6か村が合併し青木村が成立。6か村で1村となるまでにはいろいろな経緯があったようであるが、昭和33年当郷区が合併し、現在の青木村を形成している。

 村名は「東山道の道しるべ」の名木「ねずみさし」に由来する。青々繁る常緑針葉樹である。村名選定は難航し、小県郡役所からは一帯が浦野荘とよばれた歴史的経緯から「下浦野村」としてはどうかと提案されたが、最終的に「希望に輝く新村の名前」に相応しいと「青木村」と決定された。明治194校を統合し学校名を青木学校としていたことも村名選定の一因になっているという。当同好会の最年長の丸山さんのお話では、青木学校の場所の決定、村名の選定では大揉めに揉めたそうだ。しかし、いったん決まってからは、村民に愛郷心をもっと定着したと言えるようだ。

 話は転じて平成の大合併に際して、青木村は上田市への合併の道は選ばず、国の進める一律の再編に大きな疑問があると疑義を唱え、青木村は自律をもって自立することを選んだ。   

当時の宮原毅村長は「固有の歴史、自然、文化を尊重したい。財政的には厳しいながらも弾力性に富んでいる。合併推進のための特例債方式は将来国と地方の財政赤字を拡大するものと考えられ、国自体の赤字縮減対策にはならない。国は自ら行政改革を断行し、率先して議員・公務員の削減の範を示し、自立を目指す小規模町村の健全化の自助努力を察した施策の実現を切望する」等々の10項目の私見を表明し、村民を代表して「自立を目指す青木村」の決意を表明している。

この決意表明は今読んでも極めて名文であるが、重要なことはその後の「平成の大合併」に対する各界・専門家の分析・評価で、そもそも国の目指した目的は達成されず、細部を見ると市民の福祉が後退し、狙った財政面でもむしろ問題が大きくなっていることであり、その意味で当時の村長の「私見」は先見性のあるものあったことが分かる。

 

今回は新たに深見さんの妹の富田さんも初参加いただくなど、参加者も15名と多かった中で、以上のように発表者・尾和剛一様の意図された通りに大変有意義な会合となりました。

 

今後の運営・テーマについては、次回以降は、第10回(122日)「交通と通信(二線路の開通)」(尾和弘氏)、第11回(3月頃)「島崎藤村」(小林慶三氏)、12回(5月頃か)「分教場の思い出と青木村の教育事情(仮題)」(山口操様)と、発表者が名乗りを挙げていただいております。 また、1118日(土)~19日(日)の「故郷を巡る旅」について、幹事の山本修士様から概要と準備状況について説明いただきました。

 

 

8回故郷の歴史同好会報告

 

日時:2017520日(土)15:00~18:00 

出席者:10名(以下、順不同、敬称略:丸山、尾和剛一、尾和弘、小林、山口、金谷、宮原清明、櫻田、沢村、宮原豊)、

発表者:沢村良江さん

 

報告内容:毎日、毎週、毎月の行事がたくさんあり、いかに活発に活動しているか報告がありました。股関節が柔らかいそうです。子供の頃から歩くことは苦にならず、スケートも山登りも大好きでした。分校から本校に通うようになってからは、毎日片道6キロの道のりを入奈から青木まで旧道を歩いて通ったことが貯金となっている上に、今も歩き続けているから、いつまでも元気でいられると思います。よく歩いて、100歳まで元気に過ごすのが目標です(きっと実現可能)。青木で育ったことが元気でいられる理由とのことでした。

 その後の懇談では、長野県は「平均寿命が長く、かつ健康寿命も長い(病院に入っている時間が短く、かつ長生き)」と言われていますが、自分でしっかり歩行することの重要性が強調され、86歳の丸山さんが元気な理由、あるいは健康的な食事のこと、認知症にならないためにどうすべきか、いつもにも増してあれこれと話題豊富な会合となりました。

 

 最後に、今後の運営について相談したところ、次回以降は、第9回(916日)「青木村の成立」(尾和剛一氏)、第10回(12月頃)「交通と通信(二線路の開通)」(尾和弘氏)、第11回(3月頃)「島崎藤村」(小林慶三氏)と、次々と発表者がテーマとともに名乗りを挙げていただきました。今後ますます楽しみとなりました。(報告:宮原豊)