沿 革

沿革

東京青木会のルーツは、大正7年(1918年)まで遡ることができます。実に100年の歴史を刻んできたわけで、これだけの伝統のある会は、一村出身者が東京で結成した会としては稀有のものであると自負しています。私たちは、先人に敬意を表すると共にこの会を時代と共に有意義なものとする責任を自覚しながら、ともかく「楽しい」と「面白い」を第一にして交流の輪を広げています。

禁酒会から東京青木会へ

青木村出身で東急グループの創始者「五島慶太」氏の尽力により開寮した学生寮「千曲寮」に「禁酒会」が結成され、これが昭和7年に「東京青木会」に発展し、名称を変えたものの通称「禁酒会」として第二次世界大戦まで活発な活動を繰り広げていました。

しかし、戦火の拡大と敗戦後の混乱により、活動は一時中断を余儀なくされました。

戦後の痛手を乗り越え青和会として復活

義務教育を終えたばかりで就職のため上京した若者達を熱心に世話された、元青木小学校教師小林明先生などの指導で、昭和29年に若人の集う「青和会」として復活、多くの人々の善意に支えられ、活発な活動を展開していました。

当時の主要メンバーは10年くらい前までは役員や顧問として東京青木会を支えてくだされ、今もしばしば東京青木会の源流の「青和会」の精神を身をもって示してくれます。それは若者にとって「教養溢れる楽しい面白い会」であったということです。

東京青木会の再スタートから現在まで

青和会の若者達の活動に刺激され、一般の青木村出身者が参加できる「東京青木会」が昭和35年に再立ち上げされました。それは前年に故郷が未曽有の大水害に見舞われたことを契機としていましたが、そこで結束がより強固に固まり、以来今日まで60年間、活動が途切れることなく、連綿として続いてまいりました。高度成長の時代に会を支える中核メンバーはそれぞれに家庭を持ち、また仕事が忙しくなりすぎて文書での記録を途切れさせていた時代もあったものの、歴代会長やリーダーは様々な工夫を凝らして会員共に会を守り育ててきました。このように東京青木会が確実に継続されて今日に至っていることは、100周年記念誌「常盤の緑」に収録した「100年の歩み」にも記載されています。

 

そして今後は?

昨今は、会員の高齢化に加え、若手会員への働き掛けが簡単でなくなりましたが、これは豊かな社会の中で個人主義的風潮が強まったからかもしれません。若者にとって故郷会が無用なものなら元々存続は困難でしょう。しかし、将来の経済・社会は常に右肩上がりで成長していくわけでもなく、不安定な社会の中で知恵を出し合い勇気を分かち合うことが求めらえるかもしれません。だからその時のために故郷会を存続させよう(利用しよう)と言う訳ではありませんが、いつか来るそういう時代にそのような会があってもいいのではないか、あったらいいだろうと考えます。若者たちがその時に自ら考えることではありますが、今の世代の我々ができることはその芽を摘み取ってしまうことなく、どんなに細くなろうとも将来の可能性のために心中深く強くその意志を育んでおくことであると思います。新たな存在価値を声高らかに謳いあげることは出来なくとも、また会務の運営は容易ではないかもしれないが、東京青木会を継続させることは誠に意味あることと信じます。そのために今は我々自身が東京青木会に参加して楽しく面白くなければならないと、それが一番大事なことであると思います。

 

ご提供ください。

「100年の歩み」でいろいろな史資料を集約することが出来ましたが、引き続き当会に功績のあった次の方々の情報・写真等を探しています。ご提供いただける方は、このウェブサイトのブログ「会員交流の窓口」又は適宜の方法でご連絡をお願いします。

特に次の方々です。

① 小林 明氏  田中町・ 青木小学校教諭(定年まで在勤)

② 山本源重氏  入田沢・ 第2代会長(S40/6~4S2/6在任)

③ 富田寅雄氏  青木 ・ 第4代会長(S60/6~H1/6在任)

④ 若林直人氏  入田沢・ 第5代会長(H1/6~H11/6在任)

 

 (2020年3月31日更新)