東京青木会100周年記念誌「常盤の緑」発行事業について

平林秀明(前)会長のもと、20188月~20199月に実施された記念誌発行事業の経緯は次のとおりです。

 

【決議及び初版制作作業】

東京青木会では、2019年(平成31年・令和元年)に創立100周年を迎えるにあたり、2018年夏、その記念事業として100周年記念誌の制作を決定しました。

役員会は、直ちに編集委員会を組織し、平林会長(当時)を編集長にすえ、編集委員に3名の副会長のほか数名の理事らを選任し、第76回総会で配布することを目指して、201882日、記念誌発行事業をスタートさせました。

年内に数度の企画会議・編集会議を行い、記念誌のタイトルを「常盤の緑」と決め、会員の皆さんに寄稿してもらう段取りを組み立て、2019年に入ると、編集委員が手分けして寄稿を呼びかけ、会員の皆さんから随筆を寄せていただき、それを入力し、校正・校閲を行いました。寄稿文の募集、校正・校閲と並行して、記念誌の目玉企画「東京青木会100年の歩み」の編集も進められ、その企画の責任者である櫻田副会長とメイン執筆者の宮原豊副会長は打ち合わせを重ね、宮原副会長においては鋭意執筆を進めるとともに、原稿に添えるモノクロ写真の手配も怠りませんでした。

こうして各編集委員が役割分担して完成させた成果のすべてを422日までに編集長のCPUに送信し、あとは印刷され製本された記念誌を待つだけとなりました。

【初版発行と悔悟】

印刷され製本された記念誌は、69日の東京青木会第76回総会の会場に直送され、60名以上の参加者全員に配布されたのですが、それは、

(1)寄稿文については校正未了のまま印刷されてしまっている。

(2)「100年の歩み」については、最終稿の「はじめに」「第1章」、「第2章」が勝手に差し替えられてしまっている。「第1章」、「第2章」は、初稿のまま印刷に回されたため、写真はすべて欠落している。

(3)寄稿文の一本が失われ、掲載されていない。

(4)編集委員の誰一人として編集過程に関与することなく、編集長の独断で編集され、誰も最終稿のチェックをしていない。

という驚愕すべき代物でした。

編集委員からは怒りと悔しさと嘆きの声が上がり、寄稿した会員からは静かではあるが極めて強い非難の声が届けられ、編集委員会として恥じ入ったままじっとしているわけにはいきませんでした。

【改定版発行に至る経緯】

初版の編集委員会は、2019718日、総括のための会議を開き、69日に発行された記念誌を「言葉」も「想い」も蔑ろにした出版物であるとして、これを廃棄し、「改定版」を制作すべきであるとの決議をし、それを役員会に具申することを決議しました(これにて初版の編集委員会は解散)。

そして、上記決議を受けて811日に役員会が開催され、ここにおいて6月9日に発行された記念誌の廃棄と「改定版」の制作が決議され、櫻田副会長を編集長とする新たな編集委員会が組織されました。

新しい編集委員会は、寄稿された原稿を大切にしたいとの思いから総力を挙げて再度の校正・校閲を行い、「100年の歩み」についても写真付きの本来の原稿と差し替えるなどして、読みやすいものに作り直しました。1ヶ月半ほどの間に集中して作業を行った結果、9月下旬には改定版が完成し、ついに100周年記念誌「常盤の緑」が刊行されたわけです。

 

【付記】

上記の経緯からご理解いただけると思いますが、改定版が当会発行の正式な100周年記念誌です(69日発行版をお持ちの方は改定版と差し替えて、お手元においていただくようお願い申し上げます)。

 なお、100周年記念誌発行にあたり、青木村村長北村政夫様、青木村議会議長沓掛計三様、教育長沓掛英明様からご祝辞をいただいておりますので、平林秀明(前)会長のご挨拶とともにホームページに掲載させていただくことにいたします。

 

 



ご 挨 拶

東京青木会 会長 平林秀明

 

 東京青木会は、おかげ様で創立100周年を迎える ことができました。

 この間連綿と続いてきた、多くの会員各位の活動 の賜物と、共に喜びたいと考えます。

 時代の荒波にもまれ、一時は活動がままならない こともありましたが、先輩たちは臆することなく立 ち上がり、現在につなげてくれました。

 もとより当会が今日あるのは、故郷信州青木村の 役場はじめ多くの機関、村長を筆頭に多くの村民の 皆様の、絶大なご支援の賜物であることは言を待ち ません。

 私達は、この幸せをかみしめ、心から感謝しなが らこの日を迎えています。

 青木村の偉人には、五島慶太翁がおられ、青木村 にゆかりのあるすべての人々の敬愛の的となってお りますが、私達の誇りは五島翁が東京青木会の創立 メンバーでもあったことであります。青木村では、 村を挙げて五島翁の顕彰事業を始めておられます が、私達もその末端に連なりたいと念じております。

 特にこの数年は、青木村当局との友誼関係が密接 になり、単なる受益でなく、当会としても貢献をし ようと知恵を絞っているところであります。青木村 が創設した太鼓ミュージカル「義民太鼓」は、青木 村の貴重な文化活動でありますが、会員の総意で、 ささやかながら保育園児用の小太鼓を寄贈する活動 も実現させています。

 今後も今後も故郷青木村と緩やかな連帯と絆を地道に求 めてまいります。 現在の会員は、全員が「昭和」に生を受けました。 物が乏しくひもじい思いも経験しましたが、あした に向けての希望が溢れていました。入奈良本の分教 場から毎日数キロの道を通い切った会員は、今でも 足達者です。「平成」に入ってからは、物質的な豊 かさを超えて、コト文化に価値を見出し、巧みに順 応して、したたかに生き抜いてきました。

 「令和」となりました。私たちの前に何が待ち構 えているのでしょうか。情報化社会が極限まで行き 着き、情報難民が発生する可能性が声高に叫ばれる ようになりました。AIになじんでいない私たちは どうなるのでしょうか。心配はいりません。しっか りした脳さえあれば良いのです。

 

 人生100年時代が到来するといわれます。巷では、 人口の 4 分の 1 が75歳以上になると大騒ぎですが、 私達会員の平均年齢です。何もうろたえることはあ りません。よく食べ、よく動き、よく眠って、元気 に友達と交わり、沢山笑ってストレスを吹き飛ばし、 大いに人生を楽しみましょう。

 それには、欲得なしの人間関係が形成できる、東 京青木会のような組織が最適です。

 世間では、私達を権利能力なき社団などと半人前 扱いですが、そのような組織に対する帰属意識こそ、 真に価値あるものであると信じて疑いません。 毎年行う「故郷を巡る旅」では、役場のバスを職 員の皆さんが運転してくれ、青木村の周辺地域を散 策して、いくつになっても新しい発見をして驚き、 快い疲れを村のいで湯で癒し、故郷の皆さんとゆっ くり話に花を咲かせる。これ以上の贅沢はありませ ん。

 「故郷の歴史同好会」では、会員が順番にテーマ を自ら選んで発表し、その後はお酒で楽しむ。「美 術と美食同好会」では、超一流の美術品を鑑賞した 後、和洋中の名店でゆっくり料理を堪能すれば、自 然に話も弾みます。

 心と体にこんな良いことはありません。どうか皆 さん一緒に楽しみましょう。

 

 皆さん、私たち東京青木会のグループは、100年 前から続く古ぼけた組織などではなく、時代の最先 端を行く、令和の旗手なのかもしれません。

 人と人、人と動物、生きとし生けるものを慈し み、その恩恵を十分享受しながら、楽しく生き抜き ましょう!

 最後になりましたが、皆さんと共に、故郷信州青 木村と彼の地の人々に心から感謝申し上げ、ご挨拶 とさせていただきます。


にはかに恋し ふるさとの山  

 

長野県 青木村長 北村政夫

 

 東京青木会100周年、誠におめでとうございます。 役員・会員の皆さんはもとより、この間の先人の 皆さんにも心からの感謝とご慰労を申し上げたいと 存じます。

 二日前に山の絵見しが 今朝になりて にはかに恋 しふるさとの山 

 山の子の 山を思ふがごとくにも かなしき時は君 を思へり

 ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの 山はありがたきかな (石川啄木「一握の砂」より)

 

 皆さんが青木村に住んでいた時、いつもそこに青 木三山がありました。毎日眺めては話しかけ、誇り に思っておられたことと思います。今は故郷の山を 時折思い出しては、心を癒されているのではないで しょうか。

 近頃青木村では、「道の駅あおき」の隣に「ふる さと公園あおき」を整備しました。青木三山が一堂 に見渡せる景勝地であります。私も長らく故郷を離 れておりましたが、人の集まりの中で自己紹介をす る際は、努めて長野県青木村出身であることを強調 してまいりました。皆さんから良きところの出身で すねと言っていただき、信州に対する好感度の高さ をしばしば感じておりました。知人も全くいない埼 玉という地で就職した私は、県人会で心をひとつに して歌う「信濃の国」に激励されたものです。

 

 ところで、皆さんの故郷青木村は社会動態人口が 増加し、小学生の 2 割が途中からの増であり、おか げさまで消滅可能性都市にも入っておりません。ま た、2016年に行われた移住希望者の愛読本「田舎暮 らしの本」(宝島社出版)によるアンケート調査では、 日本一住みたい「村」ランキング 1 位に選ばれてい ます。

 そしてこの度、半世紀の懸案であった松本へ通じ る国道143号青木峠新トンネルのルート帯が発表さ れ、建設に向けた測量の段階に入りました。これが 完成すれば、青木から松本の中心地まで車で30分余 となり、松本・安曇野地域は生活・通勤圏に入ります。 観光・防災・医療・交流など様々な面での効果が期 待され、25万都市の松本市が近くなることで、青木 村のポテンシャルも一段と高まることでしょう。

 本会の立ち上げ時の運営には、五島慶太翁も深く 関与していたとのことであります。奇しくも翁59回 目の命日である平成30年 8 月14日、殿戸区にある生 家が落雷による火事で焼失してしまいましたが、誇 るべき郷土の偉人の顕彰活動は、今後もしっかりと 展開してまいります。

 

こころざしを果たして いつの日にか帰らん 山は青きふるさと 水は清きふるさと

 

 東京青木会の皆さんの心境は、郷土の作詞家 高 野辰之が作った「ふるさと」の三番の歌詞にすべて表されているのではないかと思います。

 今後も、皆さんの故郷青木村を、いつでも帰れる 場所として永遠に守り育ててまいります。そして、 東京青木会が会員の皆様にとって、安心して過ごせ る心の拠り所として末永く繁栄していかれることを ご祈念申し上げ、お祝いの言葉といたします。

 

約100年前の青木村は…

当時の青木時報(創刊 大正10年5月25日)による と、

 

❀ 青木小学校在籍児童数(大正9年度) ・尋常科(1~6年) 743人 ・高等科(1~2年) 113人 ・当時分校(尋常科)が下奈良本、入田沢、入奈良 本にあった

❀ 青木村年間人口動態(大正10年12月15日現在) ・出生 168人 ・死亡 124人 ・79歳(天保14年生まれ)以上の高齢者25人  最高齢85歳(天保 6 年生まれ)  2 人 ・人口総計 5,962人

❀ 青木村財務状況(大正10年度) ・歳入 39,135円 ・歳出 39,135円 教育費 18,624円(全体の52%) 徴兵慰問費、伝染病予防費等あり 年間の入営者 25人 役場の組織は村長を入れて8人  国税に自家用醤油税、県税に水車税、家畜税、金庫 税等あり



創立百周年と記念誌発行を祝って

青木村議会議長 沓掛計三

 

 東京青木会が百周年を迎えられましたことおめで とうございます。併せて、記念誌の発行と重ねてお 祝い申し上げます。

 また、平素より会員の皆様には青木村に対し何か と御力添えいただいておりますこと心より感謝申し 上げます。

 ふるさと青木村を離れ東京を中心に御活躍の中、 故郷を思う集いとして「東京青木会」を脈々と存続 されてまいりましたしことに深い感銘を受け敬意を 表すところであります。

 

 さて、私はと言いますと、団塊の世代生まれです のでちょうど高度経済成長の時代、 5 年間東京で学 生生活をしていました。親からの仕送りを受け学業 はそこそこにアルバイトに励み友人にも恵まれまし た。しかし、都会の生活に馴染むことが出来ず青木 村に戻り役場職員として村の仕事に携ってきまし た。定年後は農業、村議会議員として働いており村 政にかかわっております。そこで、村の様子や今後 について述べてみたいと思います。

 昭和35年台風による大災害のあと、災害復旧工事 が進み、その後、災害に強い村となり、以後大きな 被害もなく過ごしております。行政の変化としまし ては、昭和の合併では当郷地区と合併、平成の大合 併では合併せず自立をしていくことを選択しまし た。小規模な村だからできた早期の公共下水道施設 整備、保育園・小学校・中学校の一貫教育や自校給食、 福祉施設関係の充実、また、「道の駅あおき」や「ふ るさと公園」を整備してこれらが村の活性化につな がっております。

 さて、村の将来展望であ りますが、少子高齢化は避 けることができない状況で あります。また、今後村が 自立していくためには長年 の懸案でありました国道 143号青木峠の改良であり ます。現在長野県ではトン ネル化に向けて現地調査を 実施しており、近く事業着手が予定されています。 この開通により松本市へ30分ほどとなり上田市と松 本市の中間地に位置づけられ、経済・医療・観光の 発展が見込まれるとともに、若者の就労の場の選択 が多くなり村として存続していく転換期と考えてい ます。村は、この事業完成に向けて景観に配慮しな がら村づくりの計画を進めています。

 しかし、村の基幹産業である農業については後継 者が少なく、私も10数人の仲間と大型農業機械を使 い農業の受託作業に従事していますが、依頼が多く 受け入れられないため多くの田畑が荒廃化してお り、この対策は今後大きな課題になっていきます。

 

 終わりにあたり、東京へ昔は汽車で 8 時間、夜行 もありました。今は、青木村から 2 時間で行かれま すので20数名が通勤しているそうです。しかし、距 離が近くなったわけではありません。これからも「東 京青木会」の益々の御発展と、会員の皆さんの御健 勝を祈念し寄稿といたします。


青木村の教育について

教育長 沓掛英明

 

 東京青木会が100周年を迎えられるとのこと、本 当におめでとうございます。東京青木会の皆様のご 活躍と、故郷青木村を思う強い気持ちが連綿と続い てきたことによる偉業であると心から敬意を表しま す。今回、故郷青木村の教育の現状と将来構想につ いての寄稿の依頼がありましたので、要点を書かせ ていただきます。

 青木村は、義民の心を大切に平成の大合併に与せ ず自主自立を目指した村です。そのため教育におい ても特色を出すことが可能になり、県内外から一定 の評価をいただいています。契機となったのが、平 成23年に教育委員会や先生方が 1 年を掛けて検討し て作成した「青木村の教育」というグランドデザイ ンです。その 4 つの重点について紹介します。

①「保小中一貫教育」

 青木村は一村一校のため、保小中の連携が取りや すくなっています。保育士さんや先生方、教育委員 や保護者が、生活づくりや学力向上・特別支援教育 などの分野に分かれた分科会を設けて活動していま す。毎年秋には「子育てフォーラム」という催しを 実施し、活動状況を報告し、皆で教育を考え合う日 を設定してあります。小さな村で質の高い活動が毎 年発表されることに驚きを感じています。「朝ご飯」 をテーマにして発表したことがあり、平成27年 3 月 には「早寝早起き朝ご飯」運動が認められ、文部科 学大臣表彰をいただきました。

②「多様な他者や自然とのかかわり」(社会力を育てる試み)

 「村の子どもは村で育てる」が、青木村の教育の スローガンになっています。小学校の4・5年生が青 木村の農家に出向いて学習する「農業体験」。信州 大学の学生さんたちが小学校の 4 年生以上の希望者 を対象にして行っている 1 週間の通学合宿。小学生 の半数が放課後訪れる児童センター。その児童セン ターでは、夏は川遊び、冬はたき火で焼き芋を焼く など、自然を精一杯活用して異年齢の子どもたちが たっぷり遊ぶことができます。また水曜日には、地 域の方達が、囲碁や将棋、そろばんや絵手紙などの 先生になって子どもたちと関わっていただいていま す。中学でも総合的な学習 の時間を使って、ソバ打ち やお茶お花など地域の方々 のすごい技を教わっていま す。このように青木村では 100名を超える方々に子ど もたちの育成に関わってい ただいています。このよう な関わりが、青木村に育っ たことに誇りを持てる若者を育てています。成人式 には「青木村に帰ってきたい」「青木村の役に立ち たい」と語る若者が増えてきました。 ③「学力・体力の向上」

 今、青木村では、どのクラスも落ちついて授業に 取り組んでいます。落ち着いて学ぶ姿勢が育ってい ることが学力の定着には欠かせません。その基本の 上に、小学校では 4 年生以上には一人 1 台のタブ レットパソコンを配備しています。自分に合ったド リル学習を行ったり、タブレットを使ってまとめた りする学習を行っています。平成28年からは中学校 にもタブレット型のコンピュータを設置し、平成28 年には文化祭で各クラスのCMを作成するなど創作 の場面にも利用してもらいました。更に青木村では 村費の先生を配置できるため、小学校の1・2年生の 時は、児童数が30名以上の時は 2 学級にしてきめの 細かい指導を行っています。中学校でも主要教科は 2 名体制になるように村費の教員を配置し、少人数 指導など丁寧な指導をお願いしています。

④「一人一人を大切にする教育」(インクルーシブ教育の充実)

 平成24年から、スクールカウンセラーを雇用し、 1.6歳児健診から始まって、保育園や小中学校の訪 問を行っています。カウンセラーを中心にして、保 健師・保育士・先生方や教育委員会の連携が取れる ようになってきました。今、全国的にも発達障害の あるお子さんへの指導の重要性が指摘されていま す。青木村はいち早く早期支援体制を整え、平成25 年から 3 年間文部科学省の指定を受けて「インク ルーシブ教育システム」の研究を行ってきました。早期支援の充実と移行支援を丁寧に行うことで、障 害を克服できる子どもさんも育っています。また、 小・中学校の授業では、どの子にも分かりやすいユ ニバーサルデザインを取り入れた授業を行っていた だいており、学力の向上の面からも有効になってい ます。

 このように、青木村の教育は、これまで青木村が 独自に築いてきたことや新たな取り組みを工夫する ことで成果を上げてきたと考えています。村の方々 や先生方が、グランドデザインにあるように目指す 方向を同じにして取り組んでいただいていることが 最も重要なことです。今後も、青木村の良さを継承 して行くことで安定した成果が残せると考えていま す。最大の課題は、少子化による児童生徒数の減少 です。少子化をどう受け止め、ピンチをチャンスに 変えて行くかが、今後の最大の取り組みになります。


常盤の緑

東京青木会100周年記念誌

~改定版~

令和元年9月26日発行

 

    発行人  東京青木会

         事務局:埼玉県越谷市七左町7丁目257番地

         会長 平林秀明

    編集長  櫻田喜貢穂

    編集委員 宮原 豊 山本修士 小山精良 宮原清明 稲垣正雄 尾和剛一

    表紙写真 清水愛子(本文中使用分は個別に特記)

    印刷所 有限会社 デジタル工房 

        〒143-0016 大田区北大大森2-3-15

        電話 03-3763-4700 FAX 03-3763-4711

                                                裏表紙の写真(清水氏提供)