東京青木会「トピックス」

・トピックスは東京青木会の最新の情報を会員の皆様にお伝えする画面です。

・トピックスに関するご質問、ご意見、ご感想はブログ「会員交流の窓口」を使って送信してください。

・トピックスが更新された時はメールでお知らせします。

・東京青木会のホームページをご覧になれないお知り合いがいましたら、サイト情報を教えてあげてください。

・画像・写真付きのブログ投稿は出来ませんので、そのような場合はIT広報担当までメールでお送りください。岩淵登喜夫さんから季節の便りをお送りいただいていますが、同様にアップさせていただきます。また、トピックス欄に掲載したものは適宜、この項の「故郷の季節の便り」欄に移行させています。また、容量の関係で、順次予備のホームページ(⇦リンク)に移管していきます。過去のトピックスの全ファイルはそちらから閲覧可能です。

 

 

「会員・読者との交流窓口」にはトピックスに対する質問・意見・感想の他に何でも自由に書き込みが可能です。

「青木村出身者の集う会B」、「故郷を巡る旅B」、「故郷の歴史同好会B」、「美術と美食同好会B」についいては各ブログに投稿することも可能です。(今後の通信のために、投稿される場合はブログのコメント欄にメールアドレスをご記入ください)


20240428 岩淵さんからの便りです。

 「このところ暖かさで青木三山は山頂付近まで広葉樹の新芽が芽吹いて、緑が目立って、裾野では緑が深まり、頬をなでる新緑の風が吹いています。
家の前の庭は赤・白・黄・紫色のチューリップ、白やピンクの芝サクラ、紫のシモクレンやハナミズキ、リンゴの花が咲いて、花いっぱいになっています。四季折々の自然豊かな青木村に戻って、青木村に住む喜びを感じています」

20240422 信州昆虫資料館@十観山山麓

北村村長は十観山山麓の「信州昆虫資料館」を訪問されました。青木診療所の小川原辰雄所長の収集した昆虫が展示されているユニークな昆虫館です。

わたし(宮原)にとっては、ここは子供の頃からの遊び場所で、十観山によく登りました。子檀嶺岳がよく見えます。


20240420 北村村長から写真が提供されました。

 4月18日は、「五島慶太翁の日」と制定されたそうです。このよき日に合わせて北村村長から沢山の写真をお送りいただきました。なかなかの名カメラマンぶりを発揮されています。無料のホームページに画素数の大きな写真を掲載することはできませんが、画面上では青木村の素晴らしい春模様をお楽しみいただけると思います。画素数の大きな写真が欲しい方はご連絡ください。北村村長、ありがとうございます。

20240418 岩淵さんから便りです。

「サクラとハナモモの花が共演し、春爛漫です。このところ夏のような暑さが続いてサクラの満開のところへ、一気にハナモモ、ナシ、チューリップが咲いて、モクレン・芝桜・スイセンも既に咲いていたので、「夫神の丘」は年で一番花の種類が多いです。ただ、昨日から黄砂の影響で青木三山は霞んでいます」

 

 この季節の自然の躍動はすごいですね。岩淵さんの観察でよく分かります。ありがとうございます。


20240414 岩渕さんからも「桜見ごろ」の春本番の便りです。
 「青木役場付近のサクラ(ソメイヨシノ)の開花は7日で平年並み、昨年より14日遅くなりました。10日の朝は霜が降り、氷が張りましたが,昼は気温が高く13日は夏日となり、冬と夏が混在している陽気です。このため14日はサクラの満開で見ごろとなっていますが、夫神や沓掛温泉の標高の高いところは5分咲きです。また、黄色いレンギやスイセン、ハクモクレンや芝桜、ボケ、チュウリップなどみごとに咲きはじめて、ウグイスの鳴き声が響いています」
 
 岩淵さん、ありがとうございました。 
 

20240414 北村村長から写真が届けられました。

 岩淵さんを通して写真をお送りいただきました。

「青木村も桜が7日に咲きました。平年並の開花です。北村村長から私宛に東京青木会に送って下さいとのこと。
桜は大法寺と思われます。撮影場所の詳細はわかりませんが、北村村長からの写真メッセージをご覧ください。私も近いうちに写真送付します」

 

 北村村長、ありがとうございます。6月16日(日)東京青木会の総会・集う会でお会いできるのが楽しみです。


20230403 岩淵さんから青木村の春の便りです。

花が咲き始め遅れた春がやってきました。

今冬は季節風が弱く、南岸低気圧による影響で青木では湿った重い雪が、3月に3回も大雪が降り、雪かきで大変でした。庭の雪がとけた間から福寿草が顔を出して花が咲いていましたが、4月に入り、スイセンやコブシが咲き始め゙、チューリップが芽をのぞかせてきました。また、ウメが満開でウグイスも春を歌っています。青木村にも花が咲き始め、遅れたけれども春がやって来ました!」

20240318 農作業の始まった青木村から

岩淵さんから便りです。春近い、いい季節ですね。いつもありがとうございます。

「雪の残る青木三山を背に畑で作業する人の姿が多くなってきた。来る春を信じて、キャベツや馬鈴薯を植える作業を進めているが、まだ、冬との交差を感じる昨今です。庭にはスイセンが芽を出して、畑のオオイヌノフグリの青い花が咲き、目を楽しませてくれます」

 

今週末はお彼岸ですが、ここ数日は関東も肌寒い日が続きそうです。18日は台風並みの強風が吹き荒れました。東京のソメイヨシノの開花は19日か20日と予想されていましたが、どうなんでしょうか?

20240307 再々々 大雪の降った青木村

岩渕さんから便りです。

「青木村は5日夜から6日朝にかけて湿った重たい雪が降りました。積雪は12センチの大雪でした。気温が高かったので幹線道路は除雪したので凍結もなく助かりました。7日は晴れ間も出ていますが田畑は積雪に覆われています。春遠い青木村です。」


20240225 春めいた景色が一転雪景色に!

岩淵さんから、変化の激しい青木村のこの季節の模様について便りをいただきました。

「2月末になると太陽高度が少しずつ高くなり、昼間の長さが冬至頃から比べると2時間半ほど長くなっている。このため、春めいてくる季節の進み具合に動物や植物が敏感に反応してきた。ところが、25日は低気圧の通過で一日中雪が降り、再び雪景色となった。一日も早く春らしい暖かい陽気を迎えたいと言う人間の願望は、青木村に住んでいればこそ強く感じる。24日、青木三山の峰には白い雪があるものの、土手の雑草の緑が濃くなり、スミレも咲き、ウメのつぼみも大きくなり数輪咲くはじめた。福寿草は庭のあちこちに咲き誇っている。それが25日には雪景色に変った」

 

岩渕さん、気温や天候が変化しながら、徐々に春を迎えていくのでしょうね。いつもありがとうございます。


20240213 寒さの中にも春の兆しが・・岩渕さんからお便りです。

「6日の大雪は青木や村松では消えてきましたが、北斜面の夫神や細谷では10センチの残雪があります。雪がとけた木の下には福寿草が咲いています。朝晩は氷点下5~8℃で寒いですが、今日は日中は14℃まで上がりました」


20240206青木村に28センチの積雪一日中除雪です

 

 ブログ「会員・読者の交流窓口」にアップされた櫻田会長の投稿に関連した写真です。岩淵さんから写真が送られて来ました。すごい積雪ですね。真っ白な雪に覆われた青木三山、神々しいです。岩淵さん、ありがとうございます。

 

 子供の頃に大雪が降った時の通学のことが思い出されます。中村(田沢温泉)の家から、朝は竹スキーで滑り降りて行きました。帰りは雪遊びしながら泥んこになって、いつまでたっても自宅にたどり着かなかったです。風邪なんか引いたことがなかったです。

 昨日から今朝にかけて関東も10センチほど積もりました。いまでは、この寒さに戦々恐々です。

20240206 どんぶりの会とは?

 

2月3日に節分祭まめまき大会の中で紹介された「どんぶりの会」について、信濃毎日新聞に紹介されました。(岩渕さん提供)


 20240203 4年ぶりに節分祭まめまき大会が再開。岩淵さんからの報告です。

 

 令和6年(第29回)節分祭まめまき大会が4年ぶり再開しました。  令和3年から中止になっていた青木村の節分祭まめまき大会「福は内・鬼は外」を2月2日盛大に行いました。 新型コロナウィルスのため中止してが、本来の形で4年ぶりの豆まきをする運びになりました。 第一部は青木村保育園の園児対象、第二部は小学生と一般を対象に行い、また、福鍋(豚汁)の約1200食を提供ました。 主催は青木村節分祭実行委員会で、主として「どんぶりの会」「みかえりの郷青木」「村役場」が中心で行いました。豆をまく人は北村村長、松沢議長・清水県議・沓掛教育長・岩下商工会長・青木区長・小学校校長・保育園長・社会福祉協議会会長・駐在所長・どんぶりの会沓掛会長でした。 第一部は園児が福鍋(豚汁)を食べてから、福豆、福銭,福餅をいっぱい拾って、手をつないで笑顔で帰りました。 第二部は小学生と一般の部で小学生が前列にならばせて、北村村長と清水県議の挨拶後、発声を岩下商工会長が行い盛大な豆まき(福豆、福銭,福餅)を行いました。 子供たちの笑顔が4年ぶりに見れましたことは大変喜ばしいことでした。 

 青木村節分祭まめまき大会の模様は上田ケーブルビジョン(UCV)で放映されました。岩淵さんは「青木村どんぶりの会」の一員として裏方でお手伝いしており、この動画に登場されます。岩淵さん、いつもありがとうございます。 

 こちらをクリックして=>上田ケーブルビジョン(UCV)の動画をお楽しみください。


20240128 岩淵さんから「寒の内」の青木村の様子です。

「青木村の最も寒い時期は1月24日から2月2日で、大寒「冷ゆること至りて甚だしき時なれば也」といわれ、寒さの真ん中の寒さの一番厳しい時期です。1月24日は一日中氷点下で、霜もとけずに寒い真冬日でした。とのところ氷点下4~7度で朝を迎え、真っ白な霜と厚い氷が張っているバケツの中を見て、軒先の寒暖計を覗く毎日です。

 大寒の一戸もかくれなき故郷(飯田龍太)」

 

 信州青木村の冷え込みとは比較にならないですが、関東も空っ風が吹いて寒いです。皆さん、風邪を引かないようにご注意ください。それにしても、青木村の空気は寒々と澄んでいますね。


20240114 厳寒の青木村から岩淵さんの新春の便りです。

「このところ青木村は13日は氷点下8度、日中も2度から3度で雪が降り、まるで冷凍庫の中のようです。14日は積雪が5~7センチの中で、中挾地区にある豊受皇大神宮で新春恒例の伝統行事『おたや祭』があり、初詣・だるま市・家内安全・厄払いで賑わい、また福だるま・福あめを買い求める客で賑わいました」

 寒そうですが、山々が美しいですね。本年もよろしくお願いいたします。


20240112                        新年のご挨拶

 

東京青木会の皆様、青木村の皆様、本HPの読者の皆様

 

                                会長 櫻田喜貢穗

 

あけましておめでとうございます。

戦争―ウクライナとガザでの国家による公然たる人殺し―を目の当たりにしながら、これを阻止するすべを持たないまま年を越してしまいました。

人類は進歩するものであり、人間社会は高度に民主化されていき、人間の自由はより豊かなものになっていくという発展方向を漫然と信じてきた戦後世代としては、人道に対する犯罪が現に行われているのに、これを阻止できない状況に対しては、絶望感、無力感しかありません。自分の人生を否定されたかのような強烈な苦さを感じます。

そんな新年早々に能登半島大地震が発生し、羽田空港では海保機と衝突した日航機が炎上、被災者のことを考えると、さすがに新年の挨拶どころではありませんでした。

まさに最悪の幕開けとなりましたが、遅ればせながら本年もよろしくお願い申し上げます。

 

私事ですが今年は喜寿を迎えます。ここまで健康で来られたことは幸運なことでした。いよいよ本格的な老境に入るわけですが、ほとんど怖いもの(人)はなくなりましたので、体も頭も動くうちにやりたいことをできるだけやって、言わなければならないことをできるだけきちんと伝えていかなければならないと考えております。うるさいじじいだと言われようが、ちゃんと聴いてくれる人もいることを信じて語り続けたいと思います。私自身は絶望していても、私の絶望を含め、私の想いを、考えを、意見を受け止めてくれる人が一人でもいる限り、発信する価値があると思うことにしました。

こうした勇気を与えてくれたのは畏友宮原豊副会長でした。彼はコロナ禍の3年間に2冊の小説を書き上げ、昨秋これらを上梓しました。小説の形をとっていますが、そこには彼の伝えたい思想が、想いが詰まっています。彼が理解している青木精神-青木村において培われた青木村の精神性-も豊かに表現されています。「義民」の「義」とは何かについても考えさせられました。

私も勇気を出して、自主・自立・反骨の精神で、発信を続けたいと思います。

 

ところで東京青木会ですが、なにせ故郷が青木村ですから、はたから見ると個性的に見えるようです。どのように見えようとかまいません。要は楽しむこと。青木村とつながりつつ、会員が適宜任意に集い、ワイワイがやがや楽しむことが最も肝心なことだと思います。今年はどうやってみんなで楽しもうか、みなさんアイデアをお出しください。

 

それでは、元気に今年を始めましょう。


20231230 大法寺三重塔”ゆく年くる年”に思い巡らす竹灯籠

 岩渕さんからの便りです。「大法寺では竹灯籠が今年も参道や境内を照らしています。青木村有志の『竹灯りの会』による第4回目の開催で、ゆく年くる年の思いをテーマに、十二支の動物や花・虫などを表現した灯籠を40基配置しています。1月3日まで開催されます」

 

 岩淵さん、今年も大変お世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。

 


20231229 役員会兼忘年会(12月25日)を開催。

 

詳細は「最近の活動・今後の予定」ならびに「役員会(理事会)(R5)」に掲載しておりますので、詳しくはそちらの欄をご覧ください。


20231228 上田高校関東同窓会 会報第107号(令和6年1月1日発行)に東京青木会の記事。

 令和5年の暮れも押し詰まって参りました。今週25日に役員会兼忘年会が開催され、次年度の活動方針などが話し合われました。それについては別途報告されますが、その時に櫻田会長から上田高校関東同窓会会報に東京青木会の記事が紹介されたことが報告されました。これは10月21日~22日の「故郷を巡る旅」の夕食会の時に、櫻田会長から北村村長をはじめとする参加者全員に原稿コピーが配られたものですが、東京青木会の活動について大変よくまとまった紹介文ですから、ここにアップし皆様と共有いたします。

 皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。新年もよろしくお願いいたします。

20231223 岩淵さんから本格的な冬に突入した青木村の便りです。

「このところ寒い朝(−5℃前後)で厚氷が張り、霜の降る日が多くなりました。23日朝は氷点下6℃、薄っすらと雪が積もり、道路をほうきで掃きました。青木村は本格的な冬に突入です」

 

岩淵さん、お便り有難うございます。それにしても寒そうですね。関東も20日頃からめっきり冷え込んでおります。埼玉も今朝は0℃くらいでした。10時~15時の陽のあるうちは温かいので、その間に散歩することにします。


20231202 岩淵さんから冬に突入した青木村の便りです。

「青木村はいよいよ冬です。最近は冬型の気圧配置になることが多く、空気が澄んでいて、山と青空のコントラストがきれいです。朝は氷点下3度前後まで下がり、氷が張って、霜で、真っ白な朝を迎えます。日中は10度前後まで上昇しますが、西風が強い日があり、冬に突入です」

 

寒そうですが、きれいですね。


20231128 平成6年(2024)カレンダーについて

「青木村100の会」の会長・沓掛正一様より、来年のカレンダーのご案内をいただきました。

来年のカレンダーのテーマは、青木村 View Spot です。「エッ! こんな近くでこんな景色が見られるの?」

岩渕登喜夫さんの花火の写真もあるそうです。

 カレンダー 一部 500円

 送料    一部 370円

       二部 510円

       三部 710円

昨年と同じです。四部以上も可能です。ご希望の方は次のいずれかにご連絡下さい。

 沓掛正一     Tel/Fax 0268-49-3701

 横田あい子 Tel 090-4074-7164 メール aoki100g@yahoo.co.jp

20231119 青木村村民祭の模様です。

岩渕さんから青木村の便りをいただきました。

「村民の唯一の楽しみでもある『青木村民祭』が18~19日にかけて、ふるさと公園あおきと道の駅で4年ぶりに開催され、村内を中心に姉妹都市である埼玉県長泉町など28団体が参加して、特産品や木工品の販売、タチアカネの新そばの提供、ステージでは義民太鼓、カラオケバトルなどが行われました。18日は突然の雪と雨が降り午後1時で中止となりましたが、人出は多く、地域の産業について知る機会を得ました。私も地域のイベントの「どんぶりの会」として参画し、子供に人気のある”綿あめ”を約200本安価で販売し喜ばれました」。

 

また、青木村100の会の沓掛正一さんからも青木村産業祭の模様が会員・読者の交流窓口ブログに寄せられています。そちらもご覧ください。



20231113 紅葉から落ち葉に変わり、青木三山は初冠雪を見ました。

「青木村は寒くなり、紅葉から落葉に変わりつつあります。秋の深まりとともに、このところ冷え込みが強く、寒波の到来で、青木三山は12日夜から13日朝にかけて雪が降り、初冠雪となりました。朝の気温は12日2℃で白く霜が降りました。13日朝は3℃で寒い朝を迎えましたが、午前中は三段紅葉の素晴らしい景色が見られました」

 

岩渕さん、晩秋と言うか初冬と言うか、本格的な冬を迎える青木村の便りをありがとうございます。関東も10日から急に寒くなりました。皆様、風邪を引かないようにご自愛ください。

 

 


20231031 岩淵さんから便りです。

「青木三山の紅葉は16日頃から山頂付近が色づき、今日(31日)は我家の近くの広葉樹も黄色や赤みを帯びてきました。青木村の朝の気温は6℃近くまで下がり、寒さを感じます」

 

岩渕さん、お便りありがとうございます。先日の「故郷を巡る旅」では、大変お世話になりました。重ね重ねお礼を申し上げます。

 


20231011 秋ど真ん中の青木村から岩淵さんの便りです。

「青木村の朝の気温は8日は8度と寒く、9日は冷たい雨が降り、こたつを出して暖房開始です。今日11日は柔らかな小春日和です。ハナミズキの葉が赤くなり始めで、栗が落ちて、柿が色づき、リンゴが真っ赤に染まりました。休耕田のソバは茶色くなり、刈り取りが始まる前です。花は早い菊が咲くきはじめ、イヌサフランが満開です」

 

岩淵さん、いつもありがとうございます。故郷の秋を楽しませていただきます。


20230924  お彼岸の青木村から岩渕さんの便りです。

「昔から『暑さ寒さも彼岸まで』と言われています。青木村の例年における秋の彼岸の気温は、最高気温24℃、最低気温14.5℃、平均気温18.5℃前後で年の内で最も快適な気温になります。24日朝は12.8℃まで下がり寒さを感じました。この彼岸から青木村の気温の下がり幅は大きくなりますので、今後一段と清涼感を覚えるようになるでしょう。青木村は稲刈りが盛んに行われ、半分近く刈り取られました。田園は、タチアカネソバの実が赤くなってきました。また、リンゴが赤くなり、秋の花の秋名菊、彼岸花、アザミ、キクイモの花が見頃を迎えています」

 

岩渕さん、いつもありがとうございます。青木村はいよいよ秋本番ですね。関東地方も日毎秋の兆しが濃くなってきました。暑かった夏の後、いきなり寒くならないで秋の季節を少し長く楽しませてもらいたいと思います。


20230909 岩淵さんから便りです。今日は青木村も涼しくなりました。

「青木村は8日は台風の影響もなく、最高気温は24度で一日中涼しさを感じました。9日朝は19度まで下がりました。今年は稲刈りが早まっており、早いところから順々に始まっています。また、村内では3日から18日まで第10回「そばの花・実まつり」が行われています。花は萩やシユウカイドウが咲き、ススキの穂が目立っています」

 

 それにしても今年の夏(6~8月)は、日本の平均気温は平年を1.76度上回り、観測史上最も暑くなったそうです。エルニーニョ現象や温暖化の影響でしょうか、世界的に異常気象が続いており、平年より気温が高い状況は秋も続く可能性が高いそうです。

 関東も今日は涼しかったけれどこのまま秋になるわけではなく、引き続き熱中症には気を付けて過ごしたいと思います。皆さまもくれぐれもご用心ください。


20230824 岩淵さんから盛夏~晩夏に向かう青木村の便りです。

「今年の夏は信州も日中の気温が上昇して、暑い夏となり夕方は雷が鳴っています。お盆明けの18日は、上田で全国1位の最高気温38.4度、19日は37.5度で全国2位の記録的な気温でした。青木もそれより1度低い程度と考えられます。このところ、大気不安定の影響で毎日のように雷雨があり、青木では19日は短時間に30~40ミリの強雨が降りました。花は盛夏の花から晩夏の花へ、ナツズイセンやキバナコスモスが咲き、ほうずきが赤くなってきました。休耕田にはソバが植えられており秋そばが発芽しています」

 

岩淵さん、いつもありがとうございます。

 


20230806 4年ぶりに「青木村なつまつり」が開催されました。

岩渕さんから夏の便りです。「7月中旬から日中は35度前後の暑い日が暑い日が続いており、毎日夕方には雷と夕立があります。朝方は21~22度まで下がり涼しさがあります。5日は『青木村なつまつり』が総合グラウンドで4年ぶりに行われましたが、途中から雨で中止になりました。しかし、午後8時には雨が上がり、花火は打ち上げられました。夏の花フヨウ、サルスベリやオミナエシの花が咲き誇り、稲は穂を出し始めました」

 

岩渕さん、夏の便りありがとうございます。朝方の気温は羨ましいです。雨上がりの空に花火がきれいだったでしょうね。

 

20230727 猛暑の青木村から岩淵さんの便りです。

「猛暑で、青木村も暑いです。平年より3日遅い梅雨明けでしたが、急に日中の気温が上がって、今日の午後2時には36度と猛暑日となっています。夏の花が咲き誇る青木村です」

 

岩渕さん、いつも便りありがとうござます。夏空に咲き誇る花がきれいです。暑いと言っても青木村は朝夕は涼しいのだろうと、羨ましく思います。

関東は、日の出前から数時間は耐えられるのですが、午前10時頃からは体温を超える酷暑となり、夕方から夜も気温は下がらず、朝方4時頃までむんむんしています。皆さん、体調管理にはくれぐれもお気を付けください。



20230717 梅雨の開けそうな青木村から岩淵さんの便りです。

「梅雨明け間近な青木村です。このところ毎日最高気温は34度近くまで上昇、暑い日が続いています。花は夏の花が咲き始めました。稲は成長して間もなく穂が出そうです。6月2日に青木村に竹内製作所青木工場が完成しました。総面積5万平方メートル、延床面積3.1万平方メートルの大きな工場です。9月操業開始予定で、4~9トンのショベルが生産されます。国道143号線当郷地区の竹内製作所前には村内5か所目となる信号機が設置され、進入道路も整備されました」

 

関東も暑いです。体温とほぼ同じくらいになります。朝晩の気温は、青木の方がずっとすごし易いでしょうね。緑と空の青と雲の白、そして花々が美しいです。岩渕さん、いつもありがとうございます。

 


20230704 岩淵さんからの緑一色、青木村の便りです。

「青木村の田園地帯は麦が刈り取られて、稲が成長して緑一色に変わりました。タチアオイの花が咲いています。別名ツユアオイは下から順に咲き、上部に届く時は梅雨が明けると言われています。青木村は今月上旬に開花しました。今は梅雨真っ盛りですが、中間付近で咲き終わると、一気に夏が来るのでしょう」

 

岩淵さん、ケータイが故障中にもかかわらず便りをお送りいただき感謝申し上げます。真夏も近いですね。


20230616 岩淵さんから梅雨空に花々の咲く青木村からの便りです。

「明日は東京青木会の総会・集う会ですね。北村村長にお会いしたら、故郷のみやげ話をしてきますとのことでした。梅雨空が広がっていますが、16日は晴れ間がのぞいています。田圃は刈り取り前の麦が黄金色になり、稲は緑色が濃くなってきました。我が家にはバラが80種類ほどあり、赤、ピンク、白、黄色などの鮮やかな花を咲かせています。また、かしわアジサイやツツジが咲き誇っていました。梅雨の晴れ間の風景を満喫しています」

 

 岩渕さん、いつのありがとうございます。梅雨で不安定な気候が続いていますが、明日は幸いにも好天に恵まれそうです。皆様、熱中症にお気を付けてお越しください。


20230528 岩淵さんから便りです。

「青木村は田植えが盛んに行われています。我が家にはアイリスが満開、シャクヤク、アヤメ、シャクナゲ、矢車草、レースフラワーなどが咲き誇っております」

 

岩渕さん、ありがとうございます。


20230505 岩淵さんから便りです。

「青木村は田植えの準備が進んでいます。青木三山を眺めると木の種類によって異なった芽吹きの色が、鮮やかなまだら模様を成して、この季節に独特の景色となっています。青木三山に山肌にはアカマツやスギの針葉樹の深い緑色に加えて、広葉樹の葉は明るい緑色となって広がっています。また、ヤマツツジ、レンゲツツジの深紅色が見頃を迎えて、白ツツジも咲き始めました。青木村の新緑のみずみずしさは人間の心理状況を安定させてくれるリラックス効果があり、素晴らしい季節となっています」

 

岩淵さん、ありがとうございます。本当によい季節となっていることがうかがえます。


20230422 新緑を迎えた青木村から岩淵さんの便りです。

「4月20日の上田の気温は30.2度の真夏日で、青木も30度近くまで上昇して、7月下旬の陽気となりました。青木村は赤(チューリップ)・ピンク(ハナゾオウ、芝桜)・黄色(スイセン)・青色(ムスカリ)の花が咲いて、青木三山は裾野から1000メートル付近まで新緑となりました。夫神地区の道路沿いには芝桜が咲いてとてもきれいです。また、果樹のナシ・リンゴ・ブルーベリーなどの花が満開です」

 

岩淵さん、いつもありがとうございます。昨日一昨日と夏のように少し暑すぎたようですが、今が一年の中で一番よい季節の様です。



20230409 春爛漫、岩淵さんから青木村の春の便りです。豪華です。

「春爛漫の青木村です。3月28日に咲きはじめた役場周辺のサクラは、昨日の強風で散り始めましたが、夫神や沓掛温泉のサクラや枝垂れサクラは満開です。また、スイセン、ハナモモ、チューリップ、モクレン、芝桜などが咲いて色とりどりの花が見ごろを迎え、青木村は花の競演となっています」


20230331 青木で桜が開花しました。岩淵さんからの便りです。

「青木村は30日の気温は16度でしたが、朝晩は5度近くまで下がりました。青木村で桜が最も早く咲く診療所横は28日に始めましたが、標高の高いところは蕾です。また、白いモクレン、黄色のレンギョ、スイセンやヤナギが芽吹いてきました。これからチュウリップなどが咲き、春爛漫となる青木村です」

 

岩渕さん、いつもありがとうございます。日本全国桜の開花が早いですが、例年より2週間ぐらい早いように思います。


20230319 青木三山、神々しい春の雪景色の写真です。

岩渕さんから、「青木村は18日、低気圧の影響で湿った大粒の雪混じりの雨、朝からみぞれが降り続いて、今朝の青木三山は美しい景観となっています。青空が広がって、ウメが満開です。青木三山の雪景色をとくとご覧ください」

 

岩渕さん、ありがとうございます。春の晴れた朝の雪景色、神々しいです。


20230313 岩淵さんから便り「一気に春が来ました」

「一気に春が来た青木村です。日当たりのよい所から梅の花は、6日頃からつぼみが膨らんで咲きはじめ春の訪れを感じさせてくれます。ここ数日気温が高く、見るたびに花が増え、パンジーやオウバイが咲いています。庭のあちこちにフキノトウが出て、フキミソや天ぷらにして食べました」



20230228 暖かくなってきた青木村から岩淵さんの便りです。

「今冬は観測史上の最低気温が記録されるなど、青木村は例年になく寒い冬でしたが、このところ日中の気温も10度近くまで上昇して暖かい日が多くなり、福寿草の黄色い花が目立ちます。青木三山の雪は夫神山や滝山には残っていますが、子檀嶺岳はすっかり消えました。3月に入るとかすみがたなびき、晴れた朝は上田方面を見るとかすみが見られます。遠くの農家からのぼる煙がかすみに溶け込んで青木村はのどかな季節を迎えます」

 

岩淵さん、いつもありがとうございます。穏やかな春の陽光を感じます。関東も日差しはすっかり春めいてきましたが、時々吹く風はまだ冷たいです。桜の開花予想は、今年は少し早めと言っていましたが、桜の季節は風が強いという印象があります。


20230207  岩淵さんから青木村の便りです。

「立春が過ぎた青木村です。1月末に降った雪は平地の青木や村松では消えましたが、標高の高い入奈良本や夫神・殿戸の北斜面や日陰では白い雪が多く残っています。6日は朝霧がかかり、樹木に『霧氷』も見られましたが、日中は穏やかな陽気に恵まれ、雪が解けたところには『福寿草』が黄色い花を咲かせて、太陽の光に輝いていました」

 

岩渕さん、いつも故郷・青木の風景写真をお送りいただきありがとうございます。今回は前回同様に青木の通りの写真が懐かしく、また霧氷の写真に見入ってしまいました。


20230126 雪景色、厳冬の青木村から岩淵さんの便りです。

「強い寒波の流入により青木村も雪や強風、低温などで、24日から25日まで風が強く雪が降り、25日朝は10センチ積もりました。昨日の日中の最高気温は氷点下5度くらいで、26日朝の最低気温は氷点下15度まで下がり、冷凍庫の中に居るように冷え込んでいいます」

 

写真で見ると美しい雪景色ですが、昨日今日のこの寒さは厳しいですね。岩淵さん、お便り有難うございました。


20230111  新年のご挨拶

 

東京青木会の皆様、青木村の皆様、本HPの読者の皆様

 

                                                                                                                                                   会長 櫻田喜貢穗

 

明けましておめでとうございます。

とはいえ、コロナ・パンデミックは、何と第8波の最中にあり、プーチンによるウクライナ侵略戦争は10ヶ月を超えるも、いまだに国家による公然たる人殺しが続いています。しかもこの戦争は世界的規模でエネルギー危機と食糧危機をもたらし、国内にあっては未曽有の円安とあいまって、物価を高騰させ、年金生活者や弱者の生活を脅かしています。新年を寿ぐことなど憚られるほどに不安定で、危険で、とりわけ年寄りには厳しい状況にあると言わざるを得ません。

しかし、私どもは、ここでたじろぐわけにはいきません。青木村で培った自主・自立・反骨の精神でしぶとく生き抜いてまいりましょう。と、就任5年目に入るのに一度も総会を開けない会長が悲壮な覚悟で新年を迎えようとしていたところ、青木村からこちらと同じ次元にあるとは思えないような灯りが届けられました。岩渕登喜夫さんからのレポートです。昨年の

12月28日から1月3日まで青木村竹灯りの会が「和のこころ」と題する竹灯籠のイベントを大法寺において開催したとのこと。届けられた幻想的な灯りの中身は、「和」でした。「和」をもって尊し(貴し)となす、の「和」です。「和」して同ぜず、の「和」です。「和」は多数意見に安易に同調することではありません。みんなが互いに尊重しあい、認め

あって協調することです。協調は優れて理性的な営みで、これが欠ければ戦争です。「和」は、自立と協調のセットなわけです。

わが国では、八百万の神がいるのに仏教が伝来、受容され、紆余曲折はあったもののキリスト教もイスラム教も受け入れられ、すべて共存しています。これは日本で古くから培われてきた「和のこころ」のなせるところなのでしょう

「和のこころ」が国内においても、世界的にもいまほど求められているときはないと思います。厳しい社会状況のもと、生き抜くためには相当の覚悟が必要だと思いますが、「和のこころ」をよすがとして、前進してまいります。 

ところで「東京青木会」ですが、これをどうしましょうや?東京青木会は、私どもの生活(人生)にとって必需品というわけではありませんが、やり方によっては、あるいは利用の仕方如何では、少しは心を豊かにし、生活に潤いをもたらすものかもしれません。うまく活用していただければと思います。 

で、今年の総会開催はどうするのか?

コロナを警戒し、令和2年、3年、4年と3年続けて、一堂に会する機会を持てずにまいりましたが、フェーズが変わったことでもありますから、このあたりで決行してもよろしいのではないかと考えています。そうなれば、「和のこころ」を具体化するような総会・集う会にしたいものですね。それでは皆様、どうかご健勝にてお過ごしください。

 

本年もよろしくお願いいたします。                                                                                          


20220101  新年のご挨拶

                           東京青木会会長 櫻田喜貢穗

 

東京青木会の皆様、青木村の皆様、本HPの読者の皆様

 

明けましておめでとうございます。

 

 新型コロナ感染症は、昨年の秋ころから収束の兆しが見られるようになりましたが、オ

ミクロンなる新顔の登場もあり、警戒を緩められない状況で新年を迎えました。コロナ禍

は長引いており、多くの方が不安やストレスを抱えていらっしゃるものと思いますが、何

はともあれ、新年を迎えることができましたので、まずはそのことを皆様とともに慶びた

いと存じます。

 

今年の東京青木会の活動ですが、コロナ感染症の収束状況を確認しながら、6月に2年

振りの「総会・青木村出身者の集う会」を開催する予定でおります。それに向けて、1月

末か2月初旬に理事会を開催し、3月には開催の可否の最終確認をいたします。開催が決

まれば、4月以降は役員が総力をあげて準備に取り掛かることになります。

まだまだコロナウィルスとの闘いは続きますが、英知を結集し、一日も早くコロナ禍を

収束させ、みんなで安心して集まれる社会環境を取り戻しましょう。そして、2年振りに

総会でお会いしましょう。

 

ところで、大法寺の参道・境内で青木村「竹灯りの会」が1月3日まで「冬のホタル」

というタイトルのイベントを開催しており、そのスナップ写真を上野光彦さん(38年卒 

殿戸)から送ってもらいました。皆様のご健康とご多幸をお祈りしつつ、青木村の「冬の

ホタル」をお届けいたします。

 

今年一年、元気に過ごしてまいりましょう。

20221229 日本の良さを再発見、青木村から岩渕さん」の便りです。

「青木村は本格的な冬で、24日10センチ積もった雪が根雪となり、朝は氷点下7度7まで下がる寒い日もあり、厳しい寒さが続いています。今年はロシアのウクライナ侵略の国際情勢は変わらず、新型コロナウイルス流行や物価高の影響も続く中での年の瀬です。今年も大法寺三重の塔、参道・境内では竹灯籠が28日から1月3日まで、国宝指定70周年を記念し「和のこころ」と題して、青木村竹灯りの会主催で行われています。古き良き時代の文化や自然に目を向け、日本の良さを再発見・再確認することが、本当の豊かさであると主催者は言っています。この幻想的な光を見て、今年を振り返りながら気持ちを新たに、先の見える明るい社会になることを信じたいとお願いしました」

 

岩淵さん、今年も一年、故郷だよりをありがとうございます。来年は、先の見える明るい社会になってほしいものです。また、来年もよろしくお願いいたします。


20221218 本格的な冬を迎えた青木村からの便りです。

「青木村は本格的な冬になりました。師走を迎え、年末年始の行事の準備に忙しい日々となってきました。青木村では朝の気温がマイナス4度以下まで下がり、氷が張り、真っ白な雪の朝を迎える日があります。12日、14日、18日は小雪が舞い青木三山は白くなりました。また、17日は2センチの雪が積もり、今年初めてほうきで除雪しました。烏帽子岳や浅間山も白いです。ナンテンの実が真っ赤に色づいて青天の日はたわわに実った赤い実が陽光を浴びて輝いています。「難を転じて福をなす」、ナンテンを見て「来年こそは新型コロナが収束し、みんな元気に過ごせるようになってほしい」と願うばかりです。

 

岩淵さん、いつもありがとうごございます。今回の写真は一段ち芸術性が高いものばかりと思いました。「難を転じて福をなす」となってもらいたいです。

20221110 岩淵さんから秋が深まり紅葉が進む故郷の便りです。

「紅葉が彩る青木村です。立冬が過ぎて山々の紅葉が進み、青木村の里でも黄金や赤色となって秋が深まってきました。夫神岳の山の上は落葉が始まり、替わってカラマツの黄金色が鮮やかになってきました。朝は毎日霜となり気温も1度近くまで冷え込んでいます。柿の葉が落ち、毎日庭掃除です。『大空の深きに落葉舞い上がる』虚子」

 

岩渕さん、いつもありがとうございます。


20221021 青木三山も高いところから紅葉が始まりました。

「20日は朝冷え込んで、信州は今季一番の冷え込み、青木村も1度近くまで下がり、初霜が見られました。寒さのスピードが早まって、早くも11月下旬の気候で、北アルプスの標高の高い尾根筋は雪景色、山腹は紅葉(1,000~1,500メートル)、山麓はまだ緑で、大糸線沿いでは「三段紅葉」が始まったと報道がありました。青木村でも、ラズベリーの木など紅葉し、柿の葉が落葉し、リンゴが赤く染まって、菊が咲いてます。なお、青木三山も高いところから色づきはじめて、秋本番です」

 

岩淵様、いつもありがとうございます。


20221009 秋たけなわの青木村から岩淵さんの便りです。

「肌寒さを覚える日が増え、ハナミズキが少しずつ色づく中、青木村の田圃では稲の脱穀作業の農家も多く、また、ソバ刈り取りが進み、本格的な秋の訪れを感じます。紅葉は北アルプスの涸沢では10月5日、今は上高地が見ごろを迎え錦秋の景色となっています。しかし、6日は終日冷え込んで北アルプスなど高山では雪が降りました。青木村も最低気温9度で「こたつ」を出して暖をとっています」

 

岩淵さん、いつもありがとうございます。



20220919 岩淵さんから追加の便りです。

 

「今日、入奈良本に行った途中で、稲刈りのハゼかけを見ました。この風景、懐かしい人もいるかと思ってカメラを向けました。

ところで、青木村2023年版カレンダーに私の撮った雪の写真が使用されることになったと連絡をもらいました」

 

岩渕さん、ありがとうございます。また、2023年青木村カレンダー、楽しみです。

 


20220918 岩淵さんからの便りです。マツタケ、今年は豊作らしいです。

「9月17~18日は稲刈りをしている農家が目立ってきました。そして、タチアカネソバは実が赤くなってきました。17日は青空も見えて、シュウメイギクも咲きはじめ、白、ピンク、赤色のコスモス等の花々が咲きそろい陽光に輝いています。道の駅・あおきではマツタケも販売が始まり、例年に比べシーズンの到来が早く、今年は豊作とのことです」

 

岩淵さん、いつもありがとうございます。マツタケ、食べに行きたいです。


20220903 初秋の青木村から岩淵さんの便りです。

「このところ雨の日が多く、朝は20度を割る日もあり、涼しくなった信州です。8月初めに植えた休耕の田にはソバの花が咲き始めました。稲は実り、早い所では稲刈りが始まりました。季節の変わり目の花が咲き始めて、ススキやホウズキが色づき、ピンクや白のコスモスのなど花々が彩っている青木村です」

 

岩渕さん、いつもありがとうございます。


20220819 岩淵さんからお盆の季節の新型コロナ状況についてです。

「新型コロナウィルス『第7波』で迎えた今年のお盆は、感染防止に気を使ってか、親族や家族と会わないように心掛けた人が多かったようで、帰省者が少なかった信州です。お盆明けで青木村も感染者が急増しており、毎日5~11人の陽性者が出て(18日の累計で192例)、上田地域の18日は368例で過去最多を記録更新中です。このお盆の青木村の天気は目まぐるしく変わって、暑い日が多くありました。田圃には稲が穂を出し登熟してきました。麦を刈った田に種まきされたソバが成長してきました。花は夏の花が咲き誇っています」

 

 岩淵さん、いつもありがとうございます。コロナ感染は信州も大変ですね。関東圏もいつまで経っても減りません。その代わり対応は個々人の責任に任されたような感じで、大した行動制限はなく(マスク着用、ただし熱中症に注意。手洗い励行と変わらず)、熱が出ても救急車を直ぐには呼ばずに先ずは家で休んでいてほしいという感じで、、熱が出たらどうしようかと戸惑います。


20220802 岩淵さんがリクエストに応えて青木村の風景写真を送ってくれました。

「先日"会員・読者との交流窓口”ブログ欄に、コロナ禍でなかなか行くことができないが、青木村の行きたい場所・見たい場所として、櫻田さんから沓掛温泉の桜並木と松田さんから小林トヨジ先生の御宅というリクエストが寄せられました。それに応えて、現在の写真をお送りします。

沓掛温泉登り口の桜並木の北側の老木は切られて、今は高さ5メートルの桜が植えられています。元の老木のような桜ではないが、木は年々成長しているので、数年後には期待できそうです。写真は2枚、沓掛川側からと宮沢公民館側から撮りましたが、来年4月桜の季節にまた行ってみます。夫神にある小林トヨジ先生の御宅はご存命の頃のまま残っており、庭も当時のままです」

 

岩渕さん、早速リクエストに応えていただき、ありがとうございます。また、他の方からあった場合も、出来る範囲で結構ですからよろしくお願いいたします。


20220729 岩淵さんから7月末の青木村の模様をお知らせいただきました。

「夏空が広がったと思ったら、急に曇って来て雷鳴が聞こえてきて雨が降ったり、目まぐるしく変化する不安定な気候の青木村です。夏の花が色鮮やかに咲いています。2日前にカサブランカ、オニユリ、百日紅の花が開花しました。コロナ第7波は感染警戒レベル5で、青木村でもこのところ毎日陽性者が出ています」

 

岩渕さん、いつもお便り有難うございます。


20220715 青木村から岩淵さんの7月の便りです。

「今年は異例の早さで梅雨が明け、梅雨期間は21日と少なく、6月末から7月上旬は猛暑日が続き記録的な暑さとなりました。7月2日は上田で観測史上1位、全国観測所1位の38.8度を記録しました。しかし、中旬は雨の日が多い天気で、今年は草の背が異常に高く、道路わき、庭や畑の草刈りに大変忙しいです。夏の花、ノウゼンカズラ、ユリ、アジサイ、キキョウが咲き始め、アオイは上段まで咲いています。なお、新型コロナウィルスのワクチンの高齢者への接種は第4回目が7月初めに終わりました」

 

岩淵さん、いつもお便り有難うございます。


20220624 梅雨時の青木村からの便りです。

「青木村は雲の多い天気で夕立や雷の日が続いて梅雨らしい天気ですが、24日は晴れて蒸し暑く最高気温は34度と猛暑日に近い気温です。田圃は稲が成長し緑が濃くなってきました。秋蒔きの麦は黄金色になり、今週末から刈り取りが始まります。夜は”ホタル”が沓掛川周辺を飛んで、幻想的な風景がまだ残っています。バラの花はまだ咲いていますが、見頃は過ぎました。チドリソウ、レイスフラワーなどが満開で、タチアオイが咲き始めました」

 

 岩渕さん、いつもありがとうございます。

20220508 「園丁宮澤吉春」の筆者の国際基督教大学(ICU)の松山さんが青木村を訪問。

       岩渕さんからご報告いただきました。

 

国際基督教大学(ICU)同窓会誌(ICU Alumni News)に「園丁 宮澤吉春」を執筆されたICU図書館松山龍彦さんが、5月の連休にご家族で青木村を訪問され、村松の宮澤袈裟信さん宅(吉春さんの甥に当たる)、吉春さんの生家、洞の上原良夫さん宅(吉春さんの妻花志さんの生家)を訪ねられました。

村役場で北村村長と面談され、大法寺、 民族資料館・五島慶太未来創造館、道の駅あおき資料館(昆虫資料展示コーナー)、五島慶太公園、夫神の「宝暦義民之碑」と清水半平の墓石と石碑「辞世の句 いさぎよく散るや此の世の花ふぶき」をご覧になり、青木村は義民の伝統精神を長く保持続けている地域あることを知っていただきました。その夜は田沢温泉で一泊されました。

北村村長からは青木村村誌(歴史、民俗・文化財、自然編)や青木時報復刻版のことを話してもらいました。大正10年5月村青年会が創刊した新聞で、一般紙にあき足らない青年たちが「先ず、社会生活団体が村を愛さねばならない」と、村に腰を据え、村民の為の改革をめざして発行された新聞で、初代編集長は自由律俳人の栗林一石路です。信州の優れた文化遺産であると大正から戦後までを完全復刻したものですが、村長の説明を聞いて、松山氏も早速ご購入されたとのことです。

松山さんからはお礼のメールをいただきました。

「山河麗しい青木村の春を満喫させていただくとともに宮澤様やほか方の郷土愛にも触れて、なにか心の中に一つ宝物ができたように思います。道の駅、村役場ほか施設の充実、立派な村誌などは正直驚かされました。どれもみな北村村長以下皆様方の尽力の成果と知りました。自分は元来植物好きで日々猫の額ほどの裏庭であれこれと草木を育てているので、青木村のような豊かな自然に囲まれた場所での暮らしがうらやましいかぎりです。どうか魅力いっぱいの青木村が今後益々発展するようにと、遠方よりお祈りいたします。まずは御礼まで」

なお、吉春さんの生家で、吉春さんが青木に来た時に剪定した五葉松と、親戚中に配った「メタセコイヤ」を前に松山さん家族と宮沢袈裟信さんの写真です。松山さんは吉春さんがICUから移植したメタセコイヤが残されていることに驚かれていました。                                                                                                                             (報告:岩渕登喜夫)

 

なお、東京青木会ホームページのトピックス欄に関連記事が掲載されていますのでご参照ください。

1,       20211223日「国際基督教大学(ICU)園丁 宮澤吉春」について

2,       202231日「広報あおき(3月号)―青木村の偉人:ICU園丁 宮澤吉春氏」


 

20211223 国際基督教大学(ICU)の「園丁 宮澤吉春」について

 

 第一報は11月11日「紅葉の見頃を迎えた青木村からの便り」と同日に、岩淵登喜夫さんから国際基督教大学の同窓会誌(ICU Alumni 

News)に青木村出身の宮澤吉春さんのことが掲載されているので、調べてもらいたいというメールでした。添付のNewsの写真には四角の囲みの中に「竹倉征祠氏(ICU卒、上田市真田町在住)から情報提供いただきました」とメモがあるだけで手掛かりがなく、(私事ですが)2年前に亡くなった義母の家の整理やその三回忌法要のために九州まで2回往復するなど多忙を極め、本件については何もしないまま2週間が過ぎてしまいました。

 

 11月末には岩淵さんから、宮澤吉春さんの生家にいる吉春さんの甥(93歳)にお会いしたという追加情報もあり、さてどうしたものかと(自分のICU卒の友人の伝手を頼ってみようかと)考えていた矢先の12月1日に、全く別の筋からの情報で竹倉様のメルアドを入手、早速メールを差し上げました。自分の伝手では少なくとも1か月、場合によっては2~3か月はかかると覚悟していたのに、竹倉様から直ぐに返信をいただき、元はと言えば過日竹倉様が青木村役場に北村村長を訪ねて情報提供されたことや、それが岩淵さんを通して当方に回ってきたことを知るとともに、この記事の執筆者であるICU図書館の松山龍彦様をたった一昼夜の内に紹介いただき、翌日には松山様と近々にお会いできることとなり、とんとん拍子に話が進みました。そして12月16日にICU(東京都三鷹市)に松山様を訪ねました。

 

 ICU Alumni News の「園丁 宮澤吉春」については、別添写真をご覧ください。縁あってICUに奉職された吉春さんの誠実な人柄と勤勉な仕事ぶりが記載されおり、またそこには吉春さんの生まれた長野県小県郡青木村のことが紹介されています。ここには、吉春さんのことを「石碑に刻まれた男」として書き始められていますが、サンフランシスコ講和条約によって日本が主権回復した1952(昭和27)年、松の記念植樹をした「平和記念 1952」の石碑の裏面に秩父宮妃勢津子様、東ケ崎理事長、鵜沢評議員会議長、湯浅学長の4人の大学中枢のお歴々の御名の左側に「園丁 宮澤吉春」の名前が刻まれていることが紹介されています。そして、そこに吉春さんの名前が刻まれた理由について、湯浅八郎初代学長の吉春さんに対する心温まる賛辞が紹介されています。

 

 松山様からお話をお聞きし、図書館の前庭の石碑を見学し、また吉春さんが住んでいたキャンパス内の泰山荘を案内いただきながら、筆者は50数年前の1968~69年(大学1~2年生の時)に尋ねたことのあるICUの、ゴルフ場のある(現在は都立野川公園)広大で隅々まで手入れの行き届いた庭園のような美しいキャンパスと、(その当時は知らなかったけれど)青木村出身の吉春さんが手入れされていた樹木や草花を心に描きながら、あの時代にあるいは米国政府の助成金や日米の裕福な篤志家の寄付により運営されているリッチな大学と言うイメージのままに帰宅し、その日松山様から寄贈された2冊の書籍を2日間かけて熟読しました。武田(旧姓・長)清子先生著「湯浅八郎と二十世紀」と「国際基督教大学創立史(明日の大学へのヴィジョン)」(1945~63年)です。それを読みながら、自分の抱いていたICUに対するイメージは偏見に満ちたものであり、それは昔誰かが訳知り顔に言っていたことを間違って固定観念化していたものでした。大学を開学するには関係する人々が一丸となって並々ならぬ努力をしなければ実現できないこと、ICUの高邁な理念を支えたのが一部の金持ちの寄付金ではなく、(いくら高額でも意図のありそうな寄付金の申し出はお断りして)善意の人々の浄財を広く集めて大学が始められたことを知りました。

 

 大学は開学の理念、教育方針を打ち立て、それに沿った具体的なカリキュラム・教授陣を充実させるとともに、キャンパス内の環境整備(校舎・教室の設備、図書館、大学職員や学生の宿舎等々)を同時にしなければならないのですが、創立して最初の学生が入学し卒業までが特に大変です。ICUの場合は1950(昭和30)年に創立、53年に初めての1年生が入学、57年に卒業ですから、湯浅八郎初代学長(在職1950~1960)をはじめとする初期の方々のご苦労は並大抵なものでなかったことを知りました。本質的な問題ではないはずですが、初期の卒業生の就職先も世間の大学評価のメルクマールなのかもしれません。そのような中、創立時に集まった少数の人々で形成されたプロジェクト・チームの結束が成否を分けることになったと思います。管理業務の中心は細木盛枝氏でした。この方は吉春さんのICUでの25年間ずっと上司でした。吉春さんは湯浅学長とともに最も身近な細木管理部長に理解され、また支えられ、吉春さんもそれに応えて、与えられた任務を日々誠実に行ってきたのだと、「ICUファミリー」の良き人間関係を想起せずにはいられません。50年に大学が創立され、52年の石碑建立の時に「園丁 宮澤吉春」と石碑に名前が刻まれるまでの2年はいかにも年数が短いと最初は思ったのですが、創立時の苦難を乗り越えたチームの結束の強さや団結力を思うと、お互いの人品骨柄を知り信頼関係を築き上げるのに必要なのは、単に過ごした年数の長さではないと、そして濃密で充実した時間を共有されたチームのことを知り、自分のつまらぬ疑問も氷解しました。

 

 湯浅学長の人となりについてはNewsの文中にも紹介されていますし、業績等について関心のある方はネット等で情報を得ることができます。細木氏が吉春さんについて語ったことはNews内に記述されていますが、ここでは一般にあまり知られていない細木氏とはどのような人物であったか、上記の2冊の書籍や松山様からお聞きしたことをもとに紹介します。細木氏は吉春さんの9歳年上で、1892(明治25)年に高知県の農家に生まれ、東京帝国大学を卒業後に東京市社会局住宅部長として関東大震災後の同潤会アパートの計画実行を担ったそうです。上海で終戦を迎え、47年に引き揚げ、後に同郷の山本忠興氏(東京女子大学学長、前早稲田大学工学部長、ICU設立の実行委員長、献身的なプロテスタント信徒)によりICUの土地・建物計画担当者として抜擢されました。元農家と言う来歴と穏やかな人柄で、大学創立準備中に三鷹の元農民たちとの土地売買交渉や農林省と許認可の折衝をこなしたそうです。ICUでは管理部長として羽鳥又男氏や吉春さんとキャンパスの建物・土地・植栽・営繕を支え続けました。当初は鎌倉の自宅から三鷹まで通ったそうですが、設立後はキャンパス内の泰山荘敷地内の宮澤一家の隣に住んだそうです。吉春さんの死の9年後の1984(昭和59)年10月没、大学食堂前に記念石碑があるそうですが、ICU同窓会に「湯浅・細木記念奨学金」と細木氏の名を冠せられた奨学金制度があり、また「細木マジック」という手品のパフォーマンスをたびたび披露し人気を博したというエピソードからも学生とも近く、キャンパス・ライフを重視する「ICUファミリー」のムードメーカー的な存在で、「縁の下の力持ち」的に大学の運営において極めて貢献度の高い方だったことがうかがわれます。この細木氏は四半世紀もの間、吉春さんの上司であり隣人であり、吉春さんの仕事ぶりも性格も家族のことも一番よくご存じだったと思われます。そのために吉春さんは60歳で定年退職後も1年度毎に非常勤採用で仕事を続け、最後に吉春さんは癌で余命いくばくもないと宣告されていた(2月29日の診断書では右頸部腫瘍)にもかかわらず、最後まで大学が面倒を見ると1975(昭和50)年4月1日に翌年3月末まで採用契約を延長されたそうです。それが最後の採用契約となりましたが、吉春さんはその年の9月5日に杏林大病院で死去、享年75歳、9月7日に泰山荘で葬儀が執り行われました。

 

 さて、最後に宮澤吉春さんの子孫のことについて書きます。吉春さんと花志さん(旧姓上原)夫妻の間には4人の娘がいました。ICUの松山様が大学近くの三鷹市在住の長女・初江さん宅を訪ねた時は、初江さんと夫も既に他界されており、ただ遺影を入手し、入間の宮澤家の墓地を参拝されたそうです。その残された家族によると、他の縁者への連絡は出来そうもありませんでした。一方、青木村で岩淵さんが吉春さんの生家や妻・花志さんの実家から、次女・豊子さん、三女・幸子さん、四女・恵子さんのことを聞き、現在どのようになっているかが判明しました。次女と四女は2年ほど前に相次いで他界され、三女(90歳)が一人、群馬県内ご存命であり、子供さん(吉春さんの孫)やその子供(同じく曾孫)がおられることが分かりました。早速、岩淵さんに教えてもらった電話番号に掛けて、吉春さんの孫(60歳)と話すことが出来ました。

 

 46年前に祖父・吉春さんが亡くなった時(中学生の時)に、「ICU泰山荘で営まれた葬儀に出席したことを憶えており、母から祖父・宮澤吉春について断片的に聞いてはいるが限定された情報で、今回のICU Alumni Newsのように、このように祖父の生前の仕事ぶりや生活ぶりなどをまとまった形で聞いり読んだりしたことがなかったので大変うれしく思います」とのことでした。「近いうちに(母が元気なうちに)母や子供達と一緒にICUキャンパスとキャンパス内の泰山荘を訪ねてみたい」とのことでした。ICU松山様も喜んでご案内くださるとのことですので、宮澤吉春さんの物語はまだ先に続きそうです。

 

 今回、宮澤吉春さんとICUに関する情報収集に対して絶大なご協力を賜りましたICU卒業生(OB)の竹倉征祠様、ICU図書館アーカイブスの松山龍彦様に厚く御礼申し上げます。                                                 

                                               (文責:宮原豊 20211223)

 

国際基督教大学(ICU)図書館ニュース (⇐リンク)

 添付の写真をマウス・左クリックで拡大して読むことが可能です。また、図書館ニュースにリンクし、ほぼ同文をデジタルで読むことができます。

*この2018年12月4日付け図書館ニュースに、今回のICU Alumni News は「(吉春さんが生まれた青木村は)律令時代の七道の一つ『東山道』が村内を通っていたため、この地方には都の情報がいち早く伝わっていました。正義と反骨に富んだ精神は『青木村気質』と言われ、この村から起こった百姓一揆は江戸時代から明治時代にかけて全国最多の5回を数えています。いわく『夕立と騒動は青木村から来る』。上田に近い里村の村人の間で語られるそんな気骨が、宮澤さんの一生を貫いていきます」と青木村の紹介文が追記されています。 

国際基督教大学同窓会誌(ICU Alumni News) 135号には、「園丁 宮澤吉春」の英文訳も掲載されています。内外のOBや大学関係者から「このような誠実で立派な方がおられたのか」と、多くの反響があったそうです。

                                                                                                                    右は、岩淵さんが訪ねた宮澤吉春さんの生家の写真です。



20210307 岩淵登喜夫さんから「宝暦義民祭」について投稿いただきました。

 長文の報告でしたので、本文と写真を合わせて次のように編集しました。

 

 東京青木会でも、「故郷を巡る旅」で史跡を訪問、また「故郷の歴史同好会」でも取り上げました。

 諸活動「バックナンバー」に掲載していますので参照ください。

 

 

夫神宝暦義民祭が行われました。

 

(1)3月7日夫神公民館で青木村村長、青木村義民顕彰会、夫神・細谷区長をはじめ関係者20数名が参列して実施された。

 

 夫神神社長挨拶                 

 

今から258年前、江戸時代中期の宝暦11年12月11日夜に農民たちを先導して、当時の上田藩に年貢の減免などを訴え出た百姓一揆(宝暦騒動)、すなわち領民に対する厳しい取り立てに苦しむ藩政に反感を抱いた領民が起こした一揆のであり、この指導者・首謀者が夫神村庄屋 西戸太郎兵衛の指示により組頭 中沢浅之丞 百姓清水半平がおこしました。上田藩全体の農民を巻き込んだ大きな規模の一揆でありましたが、 その結果。この浅之丞と半平の二人が首謀者として実行犯で捕らえられ、宝暦13年3月2日(1763年)に、千曲川河原で処刑されました。 当時の夫神村にとっては、まさに史上空前の大事件でありましたが、100年も経つと村人からの記憶が遠ざかり消えされました。ところが、没160年が過ぎた大正13年に義民の供養の声がおこり、夫神区民により「宝暦義民の碑」を庚申堂の前に建てられました。これを気に農民のため犠牲をいとわなかった「義民」に対する敬慕と顕彰の精神は一層深く夫神の人たちに浸透して、夫神区では庚申祭に合わせて義民祭を毎年続けています。この百姓一揆の首謀者で処刑や騒動に関わった人達の墓参り供養を通して、この顕彰が継続されることを願っています。

(2)お墓参り(宝暦上田騒動の関係者のお墓の説明)

 西戸太郎兵衛の墓

 夫神村の庄屋の家に生れ、54歳の時に凶作と重税に苦しむ農民を見て、自ら中心となって百姓一揆を起こした。この結果困窮にあえいでた農民を救った。一揆を企てた首謀者として捕らえられ、永牢を申しつけられて、(無期刑)21年間牢にて生き抜いた。その後出嶽し、7年後84歳で亡くなった。

しかし、当時の84歳は常人よりも長生きであり、この当時の牢嶽は長生きできる状況ではなかったので、太郎兵衛は騒動の後、自宅謹慎の座敷牢に入れられていた。と 西戸家の子孫は言っていました。座敷牢であれば長生きをしても不思議がない。

 中沢浅之丞の墓

 夫神村庄屋太郎兵衛と組頭浅之丞が半平を訪ね一揆の計画を打ち明け、顔役の百姓半平の協力で一揆の計画が練られた。浅之丞は太朗兵衛の指示に従って顔役の百姓半平を動かした。領内百姓一揆の火付け役として捕らわれて、宝暦13年に半平と共に千曲川原で処刑された。当時は36歳で妻と幼い子供4人と年老いた父親と未婚の兄もいる8人家族の大黒柱であった。

・辞世句 散る花は昔まことのならいかな 久和 

 中沢伝次郎(傳治良)の墓

 藩の役人がはじめて騒動関係者を召し捕りに夫神村を急襲したのは事件後2か月後の夜半とのこと。伝次郎、半平は連行されたが、伝次郎の罪は村の役所勘定(村の会計)の調査をしたところ多くの不正が見つかり、村でも算術に詳しい伝次郎が勘定役ほか3人選ばれて多額の不正が見つかった。しかし、庄屋や組頭は調査に当たった4人が騒動の首謀者である密告した。このため罪のないものが密告で捕らえられ入牢し、200日目に無罪が認められ釈放された。その一人が伝次郎である。夫神村の内部の複雑な事情があったのだろう。

 清水半平の墓

 庄屋太郎兵衛、組頭浅之丞から相談されて首謀者の中心的人物となった半平は59歳の時、騒動を起こした。宝暦11年12月11日夜「騒動に参加しない村は火をかけて焼き払ってしまうぞ」各村に大声でさけびまわった」半平と仲間たちと言われ、その結果、実行犯として捕らえられた。半平はこの騒動に対し、罪を自分一人で負うとし、彼の性格は「死に花を咲かせたい」と言う意識があったのか辞世句からと想像する。

  騒動から 二か月後捕らえられて宝暦13年3月2日千曲川原で浅之丞と共に処刑され62歳であった。

・辞世句として いざよく散るや此世の花吹雪 千甫

(3)石碑と庚申堂

義民の追悼句碑 小林武夫(ぶふ) 平成2年地元の俳人小林武夫 本名 小林武右衛門 明治17年生・「信に聞き義に散る花や蓮二輪 」これは昭和25年義民追悼俳句大会の選

 宝暦義民之碑

 没160年後 大正 134月夫神区建立 義民の追悼(ついとう)供養の声が上がり建立され「宝暦義民之碑」が 戸殿出身の小林直次郎県会議員の筆によるものである。

大正13年に義民の供養の声がおこり、夫神区民により「宝暦義民の碑」を庚申堂の前に建てられました。これを気に農民のため犠牲をいとわなかった「義民」に対する敬慕と顕彰の精神は一層深く夫神の人たちに浸透して、夫神区では庚申祭に合わせて義民祭を毎年続けています

 義民追悼句碑 栗林一石路(農夫 たみお)

 細谷出身の俳人 これは昭和25年義民追悼句会に寄せられた自筆の句を碑にした。

・「義民いまは神にして冬の山あり」

・「霜の菊の咲きいずるなおも一輪二輪」

 庚申堂(庚申様)

 この堂は元禄11年(1698年)に再建された70年後 明和5年に建て替え、それから更に60年後文政一部増築された記録がある。この中には青面金剛像が収められている。利益をもたらす福の神と言われる。

 お賽銭の中から種銭を借りて来て来年は2倍にして返す人がいる今もそんな習慣が残っている。また、家門繁栄・病魔退散などの十王像が安置されている。

20200505 東京青木会ホームページを青木村公式サイトがリンク

青木村の公式サイトに「東京青木会」のホームページをリンクしていただきました。
青木村ホームページの「行政」をご覧ください。その「関係団体・市町村」のところに、リンク先として「東京青木会」(newtokyoaoki)を掲載いただきました。
青木村公式サイト  http://vill.aoki.nagano.jp/gyousei.html
このことを青木村に住んでおられる実家や親戚の方や友人・知人にもご紹介ください。相互リンクしましたので、青木村のことを見たり東京青木会のことを知っていただく上でも大変便利です。
東京青木会のホームページからこの青木村のサイトには「観光」のページにつながるようにしています。先ずは青木村の観光を楽しんでいただき、ここを入口として青木村の様々なページをご覧いただけます。

20200424 村歌「常盤のみどり」の楽譜を見つけてもらいました。

 

 416日に、青木小学校校歌「常盤のみどり」が昭和51年(1976年)に村歌に指定されたことに関連して「会員交流の窓口」Bに投稿しました。歌詞が難しすぎるので新しい校歌に替えて、「常盤のみどり」は村歌にしたのですが、それから44年も経っているので、「常盤のみどり」がどのように歌われているのか心配でした。

 楽譜は、昭和48年に発行された青木小学校の百年史「百年の歩み」の口絵として掲載されていると、青木村図書館の青木貴子さんから写真を送っていただきました。青木さんによると、今も村民の集まりでは歌われており村歌として引き継がれているそうですが、30歳代より若い方は知らない人もおられるようです。

 第73回「青木村出身者の集う会」では、橋詰幸夫氏(中村出身)が楽譜からギターで音を拾ってメロディーを録音していただいたことがありましたが、ここに将来のために楽譜をホームページ上に記録しておきたいと思います。