「会員・読者との交流窓口」


 ここからは「東京青木会」に関連することなら何でも気軽に書き込んでください。トップページやトピックスについての質問・意見・感想に限らず、耳寄りな面白情報を何でも、例えば「最近青木に帰ったら、美味しいものがあったよ」、「面白い人に会ったよ」、「桜がきれいだった」とか「紅葉していたよ」、「松茸が出ていたよ」等々、何でも気軽に書き込んで、みんなで情報共有できるような「交流窓口」にしたいです。

 東京青木会の諸活動については、活動ごとに質問・意見・感想の窓口(ブログ)がありますので、そちらにコメントをお寄せください。ページ左下の「続きを読む」をクリックすると投稿欄が出てきます。

また、投稿文に写真を添付したい場合は、写真は管理者に別途メールにてお送りください。写真は管理者しかアップ出来ないです。なお、ここに添付写真が増えてくると、ブログ投稿文が読みにくくなるので、写真は順次「東京青木会・ストック」の「トピックス保管庫=ブログ・データ保管庫」に保存しますので、そちらをご覧ください。また、投稿いただいた花々の写真が沢山おりますが、これも「ストック」に移管します。

 

写真:青木村役場から見た風景


小林千修さんの投稿 (月曜日, 4月15日 2024 14:30)の関連写真です。


2024年2月28日&29日小林千修さんの投稿関連の写真です。


2024年2月6日 櫻田さんのコメント♯300の写真。岩淵さんから、青木村に28センチの雪。


20230408 沢村(旧姓増田)良江さんの作品(パステル画、鉛筆画):どの絵もみんな味があり、温かいですね。山形の温泉風景(パステル画)も傑作、自画像が本人にそっくり。

東京上田会(10月7日)の写真


20230929 「故郷の歴史同好会」の宮原です。

 

櫻田さん、ありがとうございます。あまりにも素晴らしい推奨文に、穴があったら入りたい気分です。しかし、「故郷の歴史同好会」がなければ、私もこのような人生初の小説を書こうなどという冒険に挑戦することもなく、コロナで閉じこもりがちな時間を夫神村の百姓・清水半平と田沢村(中村)の医師・橋爪玄惟と語り合って過ごしました。歴史的事実を追求する立場の方(歴史家、学者)からすると、何という荒唐無稽な話だと思われるかもしれませんが、あくまでも歴史小説でありますので、よろしかったらアマゾンから取り寄せて面白おかしく読んでいただければ幸いです。

 

松田隆子さんから表紙の写真をアップするようにとのことで、恥ずかしながら本の表紙の写真を添付します。表紙の写真は、上田市内から千曲川の上田電鉄の赤い鉄橋の向こうに見える青木三山です。

 

ISBN 978-4-8150-3932-5、A5版280ページ、価格2,800円、

制作 MyISBN、発行所 デザインエッグ社となっています。

要は、アマゾン社のやっているMyISBN(自費出版)というシステムで発行したもので、編集は自己責任、出版、販売はアマゾン社が請け負うものです。在庫は持たず、1冊からでもその都度オーダーメイドで印刷します。本の値段が高いですが、それは1ページ10円と設定されており、紙代、印刷代(コピー代、製本代)であると考えていただければ幸いです。

 

本の体裁(フォント、文字の大きさ、字数・行数)を整えることが難しく、まだ工夫の余地があります。読みやすい大きさにすることを考えると、A4サイズとすればよかったのかもしれませんが、小説本としては格好悪く、A5サイズ・縦書きにしたので、PC素人(アナログ人間)としてはとんでもない苦労の泥沼にはまってしまいました。

 

ともあれ、何とか出版に漕ぎつけたのは「故郷の歴史同好会」の皆様のお陰です。この場を借りて心よりお礼申し上げます。

 

 

 

コメント: 307
  • #307

    宮原豊 (木曜日, 25 4月 2024 09:39)

    コメント: 307
    #307
    宮原豊 (木曜日, 25 4月 2024 07:52)

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    全体の4割超の744自治体が「消滅可能性」?テレビや新聞で急に騒がれていますね。
     昨日、経済界有志や有識者らでつくる民間組織「人口戦略会議」が、人口減少問題に関し、「全体の4割超に当たる744自治体が消滅する可能性がある」とする分析結果を公表した。
    報道によれば、10年前に分析した別の民間組織の調査896より改善したが、同会議は外国人住民の増加が理由と分析。「少子化基調は変わっておらず、日本人人口で見れば楽観視できる状況にない」と警鐘を鳴らしている・・としているそうです。「何を今さら当たり前のことを言っていやがる」と半分は腹立たしいです。それから、改善したのは外国人住民の増加によると言うが、外国人流入を求める財界・産業界の意向を受けたような説明には疑問を感じます。
     今回の調査は10年前の調査に加え、新たな試みとして、人口移動のある場合とないと仮定した場合の女性減少率を組み合わせて1729自治体を大きく4分類し、内訳は(1)「消滅可能性自治体」744、(2)100年後も若年女性が多く残る「自立持続可能性自治体」65,(3)人口流入が多いものの出生率の低い「ブラックホール型自治体」25,(4)いずれにも該当しない「その他」895だそうです。
    それで、全国でどのような自治体が「消滅可能性自治体」として上げられているか、長野県ではどの自治体が上げっらえているのか、リストを調べてみました。長野県は、次の26自治体だそうです。青木村は「消滅可能性自治体」には入っていませんでした。村長や村の皆さんの方針が正しく、それに向かってに具合的な努力が実を結んでいるのだと思いますが、上の分類のどれに該当するのでしょうか?

    長野県(数字は、2020年から30年間での20~39歳の女性人口の予想減少率)
    大町市 59.9、飯山市 61.5、小海町 59.7、佐久穂町63.5、立科町 59.5、長和町 64.7、阿南町 66.7、阿智村 50.0、平谷村 69.7、天龍村 68.1、上松町 66.8、南木曽町55.1、王滝村 78.0、大桑村 59.0、木曽町 63.6、生坂村 56.4、筑北村 69.0、小谷村 56.3、坂城町 52.3、高山村 59.6、山ノ内町67.2、木島平村50.0、信濃町 67.5、小川村 58.0、飯綱町 57.4栄村 77.3

     少子化は長年国が放置してきた結果であり、政府・政治の無責任さを如実に表しているとしか言えないです。都市圏への若者の集中、そこに集まって来た若者は結婚もせず独身者が増え、結婚しないから子供が増えるわけがない。今まで政府のやってきた少子化対策は的外れな事ばかり(何もしない方がマシだった)。もう少し本質を見極めて、少し方向転換すれば趨勢は変わるのではないでしょうか?

     個人的には、団塊の世代のど真ん中の自分は、高校を卒業するとはじき出されるように故郷を離れ、社会人としては海外転勤を3回、国内転勤を3回、そして東京勤務の期間とあっという間に浮き草のような人生が過ぎ、67歳に第一線を引退し、後期高齢者として今ようやく東京圏の片隅を栖として、たまに東京や横浜に行くことがあるが、普段は地元で雑用に追われています。
     自分には幸いにも心の中に子供の頃の青木村の記憶があります。それをかすかな縁(よすが)として、縁はそれほど太いものではありませんでしたが、東京青木会のIT広報を担当させてもらいながら、日々自分にとって青木村との縁の大切さを感じています。しかし、妻子はどこを故郷と思っているか、それぞれ違う場所を言うのかもしれません。家族に一体感はないです。

  • #306

    小林千修 (月曜日, 15 4月 2024 14:30)

    宮原さん、川勝静岡県知事は宮原さんの言われるとおりの方のようですね。
    新人への挨拶で「.~~ 県庁はシンクタンクで~~野菜を売ったり、牛の世話をしたり、物を売ったりする人とは違って、頭脳、知性の高い方です。~~」と言い、それを批判されると、「職業に貴賤はありません」と言いだして、新人向けの挨拶がまさに「職業に貴賤があります。」と言っているのに、まるで、志村けんさんの昔のコント“ばか殿様”のようですね。
    また以前、総理大臣の鳩山由紀夫さんは(何を言い出すのか分からないので)“宇宙人”とも言われました。タレントの萩本欽一さんがコントで“(宇宙人)の総理”をしましたが、なかなかのものでした。
    ところで、農業は“百姓”とも言われ、とても立派な職業ですね。“百姓”は百の屋号=職業を有する、職人(スペシャリスト)で製造~販売までして言わば個人事業主ですね。さらに、私の小さい頃は山から水道をひいてきたり、道を作ったり、地域の生活環境の整備もしていました。
    さて、私、先月末、風邪をひいたらしく(熱は無いのに)咳、鼻水、だるさ、になってお医者さんに行って、薬(咳止め、たんきり、炎症改善)をもらってきました。その後3日位で“だるさ”が無くなり、食欲も回復しましたが、咳、鼻水はひどいままでした。その頃、花粉症の薬が終わりかけていましたので、耳鼻科に行ってきました。すると(内視鏡でみて)喉は全く問題ありません。とのことでした。そこで次の日(4/5日)から薬を全て止めて、自然に直そうと思いました。しかし、その後5~6日、たっても、一向に咳、鼻水が治りませんでした。そこで4/11日に再度お医者さんに診てもらいました(レントゲンで)、すると、軽い肺炎です。と言われ、抗生剤(物質)、整腸剤をもらってきて、止めていた風邪の薬と飲みました。すると、2日で80%なおり、今では90%よくなりました。(再度お医者さんに行って診てもらって、良かったです。)これからもう、少しで、水泳教室(でないとサボって泳がない)、等行けそうです。最近は気温の変化で(生きて行くのは)大変ですね。  最近の桜等の写真送っておきます。
    説明、1私の家の椿4/6日、2近所の農家の(入り口の)桜、4/13、3~8、小金井公園の桜等。 (都立)小金井公園の説明;都立では最大規模で、約80ha,(東京ドーム17個分)、小金井市、西東京市等4つの市にまたがっています。桜;(の名所で)50種類,.1400本、、郷土館、江戸東京建物園、憩いの広場等広場が3つ、その他こどもの遊び場、SL機関車、等(施設)があります。公園の歩道、道路を利用して3~4km、散歩/ランニングができます。
    写真、説明、3 桜、郷土館左側4/7日、4、同4/13日、5,郷土館右側4/7日、6、同4/13日、7,郷土館4/13日、8,いこいの広場4/13日、

  • #305

    宮原豊 (水曜日, 10 4月 2024 00:22)

    今、静岡県知事の川勝平太氏のことが話題になっています。
    昭和23年の同年生まれで大学が重なっていますが、マンモス大学の故に在学中は一面識もありませんでした。それでも間接的に知っている人もあり、もう4〜5年前になりますが、彼の舌禍に母校の恥だとその人間性を批判したら、そんなことはない、立派な人間だと反論され、彼を弁護する知人もいました。しかし、「真の納税者であるいわゆる『百姓(農民、鉱工業者、商人等)』をバカにした今回の発言は言い訳無用、あれが彼の本音で反省していませんから、いくら前言を撤回しても消えることは無いです。スパッと辞任してもらいたいと思っていたところ、明日(4月10日)辞表を県議会議長に提出するそうです。いくらなんでも、もう「辞めるの止めた」とは言わないでしょう。
    昔なら武士階級は何の富も産み出していない、国富を生み、人間社会の豊かさの基礎は百姓であるという基本的な認識が足りないと、創始者の大隈侯も呆れているでしょう。学者だった彼は「富国有徳」を前知事に提唱して、前知事を継承したのですが、今ではキャッチ―な言葉が虚ろに響きます。口だけであったと県民や国民は思い知らされ、不幸な目に遭わされたと言わざるを得ないです。うんと怒っていいと思います。
    でも、都道府県の首長は絶大な権力を有しているために、時々彼のような勘違い知事がいることは珍しくないです。それは江戸時代の藩主以上かもしれません。というのは、江戸時代は幕府が睨みを利かしていたので、あまり勝手なことをすると藩取り潰し・改易されることもあったのですが、民主主義の下で知事の権限は大統領にも近く、怖いもの知らずの天狗になってしまうのでしょうか。
    実はそういう思いもあって、「信州上田藩 宝暦一揆・異聞 清水半平と橋爪玄惟」を書きました。その意味では、川勝氏は私にとっては常に意識してきた反面教師であります。

  • #304

    下地峰子 (月曜日, 08 4月 2024 15:27)

    NHKスペシャル「坂本龍一、ラストデイズ」を見た。

    うーん、今は言葉が出ない。

    昨夜はEテレで「幅充孝が選ぶ三冊の本」を見た。
    勇気の出る本だという。
    小澤征爾著「ボクの音楽式武者修行」
    貨物船に乗ってヨーロッパに行った話。26歳の時書いた本。

    二冊目、梅崎春生著「怠惰の美徳」 幅さんが少し読んでくれた。それが笑えてしょうがない。面白そう。これは読みたいとおもった。

    三冊目、さくらももこ著「コジコジにきいてみた」
    これは感心して、納得する本。
    心が暖かくなる。そのままテレビを点けっ放しにしていたら、私ウトウトしてました。そしてピアノの大音量で起こされました。

    続いてクラシック音楽。
    ブラームスピアノ協奏曲第1番。
    マウリツィオ·ポリーニ,ピアノ。
    46年前に収録されたもの。
    よくぞ昨晩、放映してくれたものだ、NHKありがとう。
    ポリーニの名演。初めて知ったポリーニさんのピアノ。私、目まんまるくして、見入って、耳集中して聴き入った。黒柳徹子さんみたいに、ただ「すごーい、すごーい」と感嘆していた。
    手が腕が目にも留まらない速さで鍵盤の上を走っている。それでいて正確。ポリーニは時々目を瞑っている。
    ポリーニさんは、先月23日に82歳で亡くなっていた。NHK、きっと追悼して、特別に番組を組んでくれたのだろう。
    ポリーニさん、18歳でショパン国際コンクールで優勝。その時の審査委員長のルービンシュタインの言葉。
    「彼はここにいる、我々審査委員の誰よりも上手い」と称賛したと。
    お腹いっぱい、いえ心いっぱいになって昨夜は、ぐっすり眠れました。

  • #303

    櫻田喜貢穗 (水曜日, 06 3月 2024 16:25)

    2月25日の岩渕さんの写真とエッセイを拝見しました。
    いつもありがとうございます。

    「春めいてくる季節の進み具合に動物や植物が敏感に反応してきた」、「24日、青木三山の峰には白い雪があるものの、土手の雑草の緑が濃くなり、スミレも咲き、ウメのつぼみも大きくなり数輪咲きはじめた。福寿草は庭のあちこちに咲き誇っている」。それが25日には低気圧の通過で一日中雪が降り、再び雪景色に変ったと。何という変化の激しさ。でも気持が沈むことはありません。春の兆しが感じられるからでしょう。
    土手の雑草と雪景色が私の脳みそを刺激したらしく、フキノトウが脳裏に浮かびました。それは直ちに母の拵えた「フキ味噌」に形を変え、口の中にほろ苦さが広がります。母は野草が好きでしたから、フキもフキノトウも散々食べさせられました。が、もう母の「フキ味噌」を食べることはできません。

    母は、裕福な育ちでしたから、野草好きはちょっと意外な気もしますが、戦前の(つまり私が生まれる前の)食生活は相当豊かなものだったようです。
    祖父は亀屋を経営する傍ら豚を飼い、豚の品評会で金賞を取るほどでした。当時、「豚の亀屋か亀屋の豚か」と歌われたそうです。母の言によれば、自家製の「とんかつ」の肉の厚さといったらとんでもないほどでした。
    それに引き替え、青木村の昭和30年代は、豚肉だってなかなか手に入りません。母は薄い豚肉をつかってそれなりのとんかつを揚げてくれました。薄くたってとんかつですから嬉しかったわけですが、喜んでいる私に母は、自分が子どものころ食べたとんかつの厚さを「このくらいの厚さだった」と親指と人差し指で示しました。その厚さに私は、「ウヘェ」と声を出したと思いますが、不思議なもので別に羨ましくもなんともなかった。母の薄いとんかつでも文句なく美味かったからです。
    母は、小豆、あんこ、砂糖、はちみつが好きでした。トマトには砂糖をつけていました。大人になってからわかったのですが、砂糖はぜいたく品だったのですね。
    母は、砂糖をふんだんに使って小豆を煮てあんこを作ります。薄焼きを焼いて、そこにあんこをどっさり乗せて、それがランチだったりします。さすがに父はあんこには手を出さず、薄焼きに味噌とか醤油をつけて食べていました。私はそのとき、父の育った家は貧乏だったのだろうと思いました。
    若いころは甘味などまったく興味がなかったのですが、10年ほど前にタバコをやめてからはあんこが好きになりました。牡丹餅でランチということもあります。やはり遺伝でしょうか?それとも「歳」のせいでしょうか?

  • #302

    小林千修 (木曜日, 29 2月 2024 13:34)

    前の投稿(#301)で花の名前(武蔵小金井駅近く、と、隣の垣根の)を”椿”と言いましたが”さざんか”の間違えでした。(すみません)訂正します。”椿”は花ごと落ちて、”さざんか”は花びらが落ちてゆくとのことでした。 空欄がありますので埋めます。
    先月19日と20日に家の近くの2軒のレストランが閉店しました。前者は”ジョナサン”で私が住み始めた頃から(約50年前)の店でよく行ったので、なつかしく、とても残念です。後者は回転ずし”魚屋路(ととやみち)”で16年前位からの店です。ここも、寿司がおいしくて、息子達が来た時よく行きました。いい所でした。ところが、今月22日、21日で2軒とも違う飲食店として開店しました。前者は”焼肉、ジュウ、ジュウカルビ”で¥3058で食べ放題、幼児無料、小学生半額 ” 後者は”かつ丼、¥693,”そば、たまご丼、揚げ物”の店、になりました。近くに法政大学、等があり若者向けでしょうか。時代の流れですね。しかし私にはまだなじみの店(50年前からの)駅前の”醍醐、そば”、や近くにピザ屋(若い人の)がありますので大丈夫ですが。

  • #301

    小林千修 (水曜日, 28 2月 2024 17:08)

    今日は風が強いですが晴れて、まあまの日ですね、これからは(皆さんが言われるように)気温や天候が変化しながら徐々に春を迎えて行く(三寒四温の)ようですね。
    最近の木の花の写真送っておきます。
    説明 1,武蔵小金井駅近くの農園(畑)の椿、(昨年12/20日)椿は冬に咲きますが、それは冬は鳥の餌となる虫がいないので、その代わりに木の花の蜜を吸いにやってくる為とのことです。
    2,3 (都立)小金井公園の梅、(今年)2/17土、この日は晴れでした。みたらし団子(柚子あんの)を食べたり、コーヒーを飲みながらでした。マスクを外すと、(甘い)梅の香りがして、菅原道真公の”東風(こち)吹かば~匂い(におい)おこせよ梅の花~~” でした。
    4,隣の家の河津桜(2/26)、2本あって、今が見ごろで、きれいです。またこの家は椿の木の垣根があって、冬には咲いてとてもいいものです。童謡の歌、”春~よ来い 早~くこい~~” でしょうか。
    ところで、YouTube はとても便利ですね。TVでもパソコンでもスマホでも、(google等)検索で見たい、聴きたいものを、ピー、ポイントで(動画を)出だして(見たり)聴いたり(無料で)出来ますね。クラシックの音楽も、有名な交響楽団のコンサートも(検索で)出てきて、自宅で楽しめますね。(もちろんチケットを買って、実際に聴きに行くともっといいでしょうが。)

  • #300

    櫻田喜貢穗 (火曜日, 06 2月 2024)

    昨日、青木村は大雪だった。
    今朝、岩渕さんから28cmの大雪の自宅の庭の写真が届いた。まことに美しい雪景色である。
    小中学生のころ、いまごろの時期には1週間ほどの「寒中休み」があった。
    雪はさほど積もらなかったが、とにかく冷えた。だから寒中休みの楽しみはスケートだった。
    当郷と合併すると、「新池」という大きなため池が遊び場所に加えられ、そこへスケートのために通った。正式には「塩之入池」だが、当初は正式名称を知らず、新池と呼んでいた。

    昨年末、青木村に行ったことのない女性に100の会制作の2024年のカレンダーを贈ったところ、塩之入池が一番気に入ったという。確かに池を取り囲む緑が溶け込んだ水面に、子檀嶺岳が逆さに映りこんでいる様は厳かであり、池の奥深さを感じさせる。堰堤が映っていないせいか、自然にできた池のような風情である。
    子どものころはここでスケートをやって遊んだと説明したら、「なんて素敵なスケート場なの!」と感嘆の声をあげてくれた。彼女は、静かなロマンチックなリンクで優雅に滑るスケーターを想像したのだろう。
    子どもにとっては、単にスケートのできる大きな池にすぎなかったが、今になって思えば、何の屈託もなく青春がはじけていたという意味でとても素敵な遊び場だった。カモシカのような同級生の女の子が氷上にわずかに積もった粉雪でつぶてを作り、私にぶつけてきた。痛くも痒くもないが、私もつぶてを作って反撃に出る。スケートが上手なその子は、縦横無尽に逃げ回り、私は容易につぶてを当てることができない。でも、イラつくことはないし腹も立たない。逃げ回る方も追いかける方も楽しんでいた。

  • #299

    松田隆子 (土曜日, 27 1月 2024 13:40)

    皆さん、今年もよろしくお願いいたします。
    櫻田会長の「今年を元気に始めましょう」の言葉に後押しされ、元気に今年を始めました。この20日に76歳となり、その数字にびっくりです。昨年はケガをしないことを目標にし、幸い大きなケガはなく、左人差し指をささがきゴボウの様に切ったくらいでした。
    今年は歩くこと。数年前に車も免許も手離したので、自然にたくさん歩けるかと思いきや、自転車に乗ってしまい歩かないのです。そこで今年は歩くことを目標にしようと思って、すでに頑張っています。ささやかな目標ですが、これを土台に一年健康で乗り切りたいです。
    ここ何日か、強風が吹き荒れとても寒いけれど、庭の片隅には福寿草が赤い小さな芽を出していて、元気をもらっています。
    コロナが10波に入ったそう、油断せず過ごしましょう!

  • #298

    小林千修 (月曜日, 22 1月 2024 16:56)

    昨日の“正月の投稿”#297の続きをします。 そして、今の“正月”はと言うと、昨年末に私の所に“オイシックス”から娘(私の家の近くに住んでいる)あてで“おせち料理”が宅配されて来ました。そこで、「こちらに“おせち”が届いているよ」と言うと「そっちにおいて、おいて、正月に食べに行くから」とのことでした。
    1月1日になると、娘達と娘婿のママさん(昨年、クリスマスからNYより、こちらに来ていて)が私の家に(おしよせて)来て。お酒、おせち料理、おもち入りお雑煮、等、飲んだり、食べたりで、楽しみました。そして、近所の神社にいって、昨年の(破魔)矢(干支の絵馬がついている)を“火”に入れて、お参りをして、新しい矢を買って、甘酒、お酒を頂いて、帰ってきました。(娘達とママさんは、お参りの後、そのまま、(子供達のおもちゃを買いに)吉祥寺に出かけて行きました。)その神社は(大きくはありませんが)地元の方々(氏子さん)が神社の行事(正月、お盆、等)を上手に、してくれていて、とてもいいものです。
    今年はコロナが終息してきたと思ったら、能登半島の地震、羽田の飛行機事故、が起きて、ロシアの侵攻、ハマスとイスラエルの戦闘、が続いていて、米国の大統領選挙があって、大変な年となりそうですね。
    そして、今年1月に予定していた“昔の職場の”新年会(飲み会)が“地震等により、自粛で中止”との連絡がきました。それで、次回は4月の花見とのことです。ところが、私は花粉症なので、残念ですが、欠席の予定です。人生、いろいろなことがありますね。ともかく健康に気を付けて、元気に、頑張りましょう。
    (追記します)青木村の道の駅の“松茸の酒”はとても素晴らしいものですね。昨年、田舎から野菜等送ってもらいましたが、その時にワンカップのものが入っていました。そして、昨年、クリスマスの頃、米国から、娘の友達(日本人)が夫(ドイツ生まれのアメリカ人)と共に日本に(休暇で)来ていました。その時、「最近、夫は日本のお酒は“おいしい”と言って、飲むようになった。」(ドイツ人はビールを(日本のお茶のように)飲みますが。)と言っていました。そこで、“松茸の酒(ワンカップ)を(私の作った梅干しと一緒で)お土産にあげました。お酒はワンカップなので(たいそうな金額のものでもなく)気軽にもらえて、とても喜んでいました。

  • #297

    小林千修 (日曜日, 21 1月 2024 12:01)

    櫻田さん、今年、喜寿とのこと、おめでとうございます。それにまだ仕事を続けていて立派ですね。(私は早生まれなので来年です)今まで健康で過ごせてきて、これからもそうでいたいですね。
    松田さん、浅間山いつも見れていいですね。私の中央線の車窓から(小さく)富士山が見えます。デパートの屋上からも(大きく)みえます。とってもいい気持ちになりますね。岩淵さん“おたや祭り”が青木村にもあること初めてしりました。楽しいものですね。私の母の実家の丸子町にもあって、子供の頃母に連れらえて行きました。そこは夜に行って”だるま”等の店があって、”だし”(弁慶や牛若丸等の人形の飾り)があり、ライトで照らされていてとても見事なものでした。昔はお正月は大人の一大行事のようでしたね。12月31日は二年参りで山を超えて別所温泉に行ったり、山から
    竹や松の枝を切ってきたり、藁でグローブみたいなものを作って玄関等に飾って、お正月料理も作って、すごいイベントでしたね。

  • #296

    櫻田喜貢穗 (火曜日, 12 12月 2023 19:51)

    小林千修さん、金婚式を迎えられるとのこと、おめでとうございます。
    健康で金婚式なんて、本当に幸せなことです。この幸せをできるだけ多くの人に還元してくださいね。
    下地さん、そうですか。いま、夕方が日に日に明るくなり始めているのですか。
    でも、相変わらず人の世の闇は深いです。ウクライナやガザの闇には絶望しかありません。それと比べると政治家が裏金を作るなんざぁ最悪だが、屁みたいな闇ですね。いずれにしても、人の世の夜明けは遠い。絶望しないためにはどうしたらいいのでしょうか。
    何もしないことには耐えられないので、とにかく署名活動に応じました。今年は何本署名したのやら。

    今年もあと2週間となりましたが、皆さま、お元気でお過ごしでしょうか。
    コロナが終息したわけではないですが、フェーズが変わり、自粛を余儀なくされていたイベントが実施できるようになりましたので、特に秋以降、東京青木会の会長としての出番が増え、二足の草鞋を実感する年となりました。

    10月6日の東京上田会の「東京の集い」は、本業の都合で出席できませんでしたが、
    10月21、22日には、4年振りの「故郷を巡る旅」が実施され、私も参加しました。山本修士幹事に引き連れられて総勢10名で青木村を訪れ、歓待を受けました。北村村長、塩澤さん、小林さんには大変お世話になりました。故郷は、山河も人もありがたきかなでした。
    昭和32年卒組と34年卒組は男女の複数の参加でした。同期で支え合う姿は、微笑ましいなどというと怒られそうなので、羨ましかったと言っておきましょう。

    11月4日、休眠状態にあった「美術と美食同好会」が宮原清明幹事のもと復活しました。東京国立近代美術館で開催されていた「棟方志功生誕120年大回顧展」で、棟方志功の骨太でダイナミックな版画をゆっくり鑑賞し、「美食の部」は神保町の本格中華。もちろんビール付きで、卒寿を過ぎている丸山光繁さんのジョッキを持つ笑顔が印象的でした。

    11月7日には渋谷のエクセルホテル東急で「青木村晩餐会」。理事5名の他、小山精良さん、渥美弘美さんが参加。青木村の食材でのフルコースを楽しみました。何が旨かったかというと、やはりトップはタチアカネ蕎麦。
    飲み物はウィスキー、ワイン、日本酒と揃っていましたが、いける口の沢村良江さんはタチアカネ焼酎を絶賛。確かにすっきりしておいしい焼酎でした。
    残念だったのは、マツタケが青木村産ではなかったこと。でも北村村長と道の駅あおきの若林崇弘社長が壇上に並んで禿頭を下げ、「頭をまるめてお詫び申し上げます」とやったものだから満場が湧きました。村長はなかなかの役者です。

    11月11日は東京小諸会に出席しました。同会も故郷小諸市とのつながりを重視していますが、かかわり方が半端ないです。小諸市からはマイクロバスで市長、副市長、教育長、市議、県議、市職員の他、商工会議所や地元企業などの民間組織も参加。それぞれが会員(関東圏在住者)と触れ合います。そのうえ、来賓も友好団体だけではなく、国会議員、県人会、その他小諸と所縁のある方々にまで及ぶので、立食パーティの場は相当にぎやかなものとなります。多様なつながりを発展させていくというのが東京小諸会の方針の様です。私も随分多くの方と話をさせてもらいましたが、青木村が自主性を貫いていることについて評価が高いです。

    さて、来年に向けてですが、時世はまことに愚かなことながら他人との交流を回避する傾向にあり、入会対象者も減るばかり。でも東京青木会は、無理をして人を集めるところではないので、参加したい人、同郷人と安心して楽しみたい人が自然に集えればいいと思います。来年は、どうやって楽しみましょうかね。

  • #295

    小林千修 (木曜日, 07 12月 2023 11:27)

    作家で日大理事長の林真理子さんが「イスラエル、パレスチナのニュースを見るたびにつらくやりきれないおもいになる。~~これはウクライナ侵攻の時とはかなり違う。あちらは善悪がはっきりしており私達も支援団体に寄付するなど少しは気が晴れたが~~加害者と被害者が複雑に入り組んでおりどう考えればいいのかわからない。~~~」と言っていましたが私も、ハマスのテロ行為は非難されるものでしょうが、これまで、双方の争いや戦闘の歴史がありそれを知るにつけ何とも言いきれなくて心苦しいものですね。
    さて、下地さん12月に入りこれから日の入りが遅くなり、そして冬至(12月22日)を過ぎると昼の時間がのびるとのこと、朗報ですね。(しかし日の出と寒さは(一層)まだ続くのは残念ですが)
    ところで、私今年は金婚式(結婚50年)の年で先月私達と子供達家族で横浜の中華街で昼食会をしました。コロナ以前(数年前)にも中華街の食べ放題の店で会食したことがありましたが、その時と同じぐらい街は混んでいました。その日は娘達と私達は横浜港のホテル(インターコンチネンタル)に泊り翌日帰ってきました。とても楽しく、今まで、健康で過ごせてこれたので何より有難く思いました。
    近況の写真送っておきます。説明1,今年9月に梅の木の剪定しました。シルバー人材センターで、すっきりしました。2,7月に水泳クラブのマスターズがありました。応援の様子。リレー平均で(80~84才)のクラスは3チームも参加があり驚きでした。3,横浜のホテル(インターコンチネンタル)で妻と私、4近くの小学校の通りのイチョウ。追記、昨晩はカキフライ、ビール、でした、シーズンですね。

  • #294

    下地峰子 (土曜日, 02 12月 2023 20:25)

    もう12月です。急に寒くなりましたが、嬉しいことがあります。夕方の日の入りが12月1日から遅くなること。夕方が日に日に明るくなるのです。
    庭仕事していても4時を過ぎたら
    さっさと片付けないと、たちまち暗くなってきてあわてることしょっちゅう。これからは夕方だけ日が長くなるのです。数十秒という単位ですが。
    日の出はこれからもどんどん遅くなっていきます。来年1月7日位まで遅くなる。こちらは秒単位。
    12月22日が冬至ですが、日の入りと日の出は、そんなことになっていると。気象予報士の伊藤みゆきさんに教えてもらいました。
    7·8年前に聞いていたのに、やっと今頃私の頭の中に入ってくれました。


  • #293

    小林千修 (火曜日, 10 10月 2023 22:00)

    宮原さん、小説を書いて本まで出してしまうとはすごいですね。これには「故郷の歴史同好会がなければそういう気が起こらなかった」とのことで、いい同好会があって良かったですね。またアマゾンで購入出来るので、私達はとても助かります。(便利な時代ですね。)
    さて、先週は急に冬のように寒くなって、雨も降って、困りましたね。毛布では寒くて羽毛布団や下着クールからヒートに、半袖シャツ、長袖にしたりで大変でした。しかし今日は秋らしく天気で丁度いい暑さでホットしました。私、先週金曜日にインフルエンザ予防接種しました。ここ3年位流行しなかったので、皆、免疫力が落ちていて、今年はもう流行しているらしいとのことでした。
    ところでコロナでだいぶ生活が変わってきていますね。(いろんな行事が簡素になってきていて)
    先々週に親戚に不幸があって、お通夜に行って来ましたが、お焼香を済ませてその後の、お清めの酒席はありませんでした、代わりに「お吸い物セット(お湯を注いで使う)」が出されました。
    また、先日の小学校の運動会は全校生徒午前中で終わり、昼食は学校ではなし、で家でとのことでした。いずれも、コロナやインフルエンザ(今年は)対応のようです。まだまだ3,4年前程にはなっていませんね。また、今後は元のやりかたが変わって行く(より合理的にでも)のかもしれませんね。さて、今月から始まった朝ドラ面白いですね。元気がもらえますね。

  • #292

    松田隆子 (土曜日, 30 9月 2023 11:39)

    宮原さん
    表紙すごくいいですね。
    半平さんを先頭に、この景色を背にお城へ向かったのでしょう。
    歴女でない私は、こう言う事に疎く居ました。早速、アマゾンへ注文します。

  • #291

    松田隆子 (木曜日, 28 9月 2023 22:39)

    宮原さん
     作家デビューおめでとうございます!
    ぜひ、その小説を読んでみたいです。可能でしたら、表紙の写真をここへ紹介してください。

  • #290

    櫻田喜貢穗 (火曜日, 26 9月 2023 18:31)

    東京青木会・「故郷の歴史同好会」から歴史小説家が誕生しました。副会長であり、ホームページの管理者であり、「故郷の歴史同好会」の世話役でもある宮原豊さんが作家デビューです。
    上梓したのは、「信州上田藩 宝暦一揆・異聞【清水半平と橋爪玄惟】」という歴史小説です。管理者が自分で自作をホームページで紹介するのは照れ臭いでしょうから、私が紹介いたします。

    「故郷の歴史同好会」で飲酒歓談してきた仲ですから、数年前から宮原さんの関心が宝暦一揆の謎-隠された真実-にあることはわかっていましたし、宝暦一揆を題材に小説を書いていることも知っていました。8月23日、紙の本として出版されましたので、早速アマゾンで購入し、拝読しました。驚きました。なんと一気に読めるほどに面白い「小説」でした。

    宝暦一揆はみなさまにはなじみの歴史的事件であり、首謀者とされた半平と浅乃丞のことはよく知られていますが、本当の首謀者は他にいるのではないか、半平と浅乃丞だけで川東をも巻き込んだ惣一揆は可能だろうかとか、一揆の実態については謎であり、史実に空白があることが指摘されていました。宮原さんは以前から、この空白・謎を解きたいと考えていたようです。
    そして、宮原さんは、コロナパンデミックの期間を利用して、この空白(謎)を鮮やかに埋めていきました。橋爪玄惟という人物に焦点を当て、玄惟を企みに関与させることによって謎を解いていったのです。その推理力、想像力、創造力に感嘆の声をあげてしまいます。これは謎に挑んだ力作と言えます。
    とりわけメインの二人(半平と玄惟)の人物造形は素晴らしい。この二人の同志の絆が全編を貫いています。半平と玄惟を取り巻く人物も二人の人格と見事に調和しており、二人の人間性が、同志愛、家族愛の形で表現されているのです。何度か涙をぬぐいました。愛がてんこ盛りの人間ドラマです。
    歴史小説としても、一揆という形で抵抗せざるを得ない社会経済状況が描かれ、守る側である上田藩権力の構造及び実態に言及し、両者のぎりぎりの攻防の果ての抵抗運動としての一揆の姿がダイナミックに描かれ、作品に深みを与えています。 
    そして何よりも宮原さんらしいのは、それぞれの地位や立場で誠実に生きる人間に対する温かいまなざしです。誠実に生きる人間に対する賛歌になっていると思います。一読されることをお勧めする次第です。

  • #289

    小林千修 (水曜日, 13 9月 2023 17:47)

    久し振りに投稿します。岩淵さん故郷の写真とても鮮明でありがとうございます。この頃はまた暑くなってきて困りますね。私、先週位に曇りで少し暑さが和らいだので、冷房機の吹き出し側に頭を置いて寝るようにしました。(それ以前は暑いので、その反対側に頭を置いてねたのですが、(北枕で、縁起が良くない))そのせいか2~3日前より風邪気味で、鼻水、咳、が少し、喉もいたくなりました。今日お医者さんに行ってきました。そこでマイナーカードで受付をやてみました。思ったより簡単で、読み取り機があって、そこに置いて①暗証番号または②顔認証でするものでした。私は①で(うるおぼえでしたが)してみました。で、OKでした。今は個人情報保護が何でも本人確認、本人操作ですね。
    また先日2泊3日で旅行に行きましたが、庭のみずまきを高齢者事業団の人に頼みました。水撒きが終わった翌日その方が確認の印鑑をもらいに来ました。その2~3日後に郵送で(コンビニ払いの用紙が送られてきました。(昔は終わったらその方にお金を渡していましたが、今は不正防止でしょうか手続きが複雑ですね)
    さて、2~3日前の朝ドラ(植物学者の)で主人公の妻の方が渋谷にお茶屋を出すのですが、そこにお客として、(五島慶太さんを想定して、)小林一三さんが出てきました。将来は銀行を辞めて鉄道事業をする等いっていました。(なつかしく、おもしろいと思いました。)
    また、3~4か月前に私の妻が友達と五島美術館に行ってきたとのことで、(ご存じかも知れませんが)庭園、カフェ、もあって、いろんなイベントもしていてとてもいい所といっていました。今はいろんな所にいろんないい所があるようですね。とにかく暑さに負けずいいものを食べて、しのぎましょう。

  • #288

    松田隆子 (火曜日, 18 7月 2023 14:07)

    夏空の青木村、「暑さに負けるなよ!」とエールを送ってもらっています。深谷(ほぼ熊谷)は、毎日全国一の暑さ争いです。陽なたは44度ごえ、2分も居れば軽いやけどをしたようです。
     岩渕さんの便りにある竹内製作所を7月6日に、実家への途中で見てきました。とにかく広い、大きい!ロケーションもいい!
    ちょうど、信号機とバス停の工事中でした。バス停の名前は確か「工場団地」のようです。何年か振りに上田駅から細谷までバスに乗ってみました。道筋は変わらないけど、両側の建物はだいぶ変わりました。なかには昔懐かしい佇まいのものもあって、当時を思い出し窓にへばりついて、見落とさないようにしていました。
    益々の青木村の発展を楽しみに、また、ふるさとのありがたさを噛みしめたいと思います。
     暑さ厳しい折、熱中症には気を付けてすごしましょう。

  • #287

    松田隆子 (日曜日, 18 6月 2023 16:12)

    集う会から一夜明けて、有意義で楽しかった~と、その余韻に浸っている昼下がりです。外はムシムシして暑く、今夏初、朝から冷房です。
    きのうからの、心地よい心身の疲れが少しずつ消えています。
     北村村長さん、金井村議さんとも気兼ねなくお話しさせていただき光栄です。一つ残念な事は、青木村の季節の便りを届けてくださる岩渕さんが、ご都合で参加されませんでした。
    岩渕さんとは、中学三年間同級生でしたので、そんな風におもいました。

    櫻田会長はじめ、役員の方々、たいへんお世話になりました。
    ありがとうございました。

  • #286

    下地峰子 (月曜日, 29 5月 2023 17:28)

    松田隆子さんに続いて、久しぶりの投稿です。

    歳を重ねること、受け入れることできず、鏡を見てはぎょっとしています。
    紙をぎゅっと丸めて広げたような顔の皴。加えて腰と膝の痛み。年老いても笑顔で生きていけ、と娘に教えられてはいるのですが・・・

    昨日も私、ぼーっと生きていて、娘に悪いことしてしまいました。
    娘の美和子、眠っていたので、午後、庭に出て、土いじりを4時間もしてしまいました。
    「おしっこ出ちゃった」と美和子。ごめん、ごめんを連発の私。「悪いお母さんでごめん。ねぇお姉ちゃんのこと忘れて、花いじりしてるんじゃないよね」
    背中の方までぬれていた。お風呂でまたシャワーを浴びてスッキリ。座らせておいて15分、シーツを4枚剥がして直ぐに洗濯。大仕事でした。
    「気持ちよくなった」と美和子に許されて私もほっとした。
    ぼーっと生きてんじゃねえよって、チコちゃんに叱られた日でした。

    それでも花作りは楽しいです。庭いっぱいの草花。こちらは死ぬまで続けます。今咲き始めたモナラベンダーはうす紫。赤いピンクの京鹿の子。ビロード赤のアマリリス。風になびくチドリ草。白いレースのようなオルレア。これからユリが咲きます。

  • #285

    松田隆子 (月曜日, 29 5月 2023 11:12)

    梅雨のようなお天気ですね。青木村は田植えの時期だなと思っていたところ、岩渕さんの便りが届いて学校の農繁休みがあったことを思い出しています。
     5月、6月の青木村のカレンダーにある夫神岳の写真は、心に力が湧いてきて、何とも言えず好きです。そして集いの会では、深見さんが紹介してくださった「青木村ふるさと景観100選」の冊子をいただけるそうで楽しみです。
    ふるさとの景色は、どの季節もほんとにいいですね。

  • #284

    深見晴恵 (木曜日, 13 4月 2023 10:31)

    こんにちは。理事の深見晴恵(旧姓松田)と申します。
    先日(4月8日)の理事会の際、「青木村ふるさと景観100選」という立派な冊子を配布していただきました。
    写真は、とても良く構成されていて素晴らしいです。
    民話、伝説、真田氏関係、先人たち 方言などの案内も分かりやすくまとめてあり、知らない事も沢山あり、とても参考になりました。
    青木村100の会のみなさま、素敵な冊子をありがとうございました。

  • #283

    尾和剛一 (月曜日, 10 4月 2023 20:47)

    「トピックス 20230409」に中挾の豊受神社さんの写真が掲載されていました。この神社さんの境内は小学生の頃、中挾の小学生、中学生が集まって、月に一度かどうか忘れましたがお掃除した場所です。また、小学生の頃、三角野球もよくやりました。青竹を切った青バットで打ったり、手製のミットで捕球したり、打球が写真にある建物を超えるとホームラン、本当になつかしいです。岩淵さん、どうもありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。

  • #282

    松田隆子 (金曜日, 07 4月 2023 13:58)

    4月5日、4年振りにお墓参りに行ってきました。そして念願だった小中学校への通学路を辿るを実行してきました。道中、色とりどりのさくら、水仙、ムスカリ、ちゅうりっぷと、それはそれはきれいでした。
    ここら辺りで道草をしたこと、けんかもしたっけ……など、当時のことがこの間のことのように浮かんで、懐かしさで胸が詰まるおもいでした。
    最後に、診療所の記念のさくらと小学校のさくらをしっかりと目に焼き付け、青木三山に別れを告げ帰ってきました。忘れられない1日となりました。
    写真もたくさん撮ってきました。

  • #281

    松田隆子 (金曜日, 31 3月 2023 16:58)

    岩渕さん、ふるさとの花便り嬉しく拝見しています。定期的にこうして届けてくれること、簡単なことではありません。
    本当にありがとうございます!
    なかなか、すっかり暖かいとはいかないでしょうが、青木村も花咲き乱れる時期ですね。
    トヨジ先生のさくらも咲くでしょうか…。植えられてからもう66年にはなるとおもいます。
    深谷の桜は散りはじめました。これから青木村へ行けば、また桜を見ることができます。母の命日ごろが満開でしたが、年々早くなっているように思います。コロナの心配も少なくなってきたので、今年は行かなくてはと考えます。

  • #280

    櫻田喜貢穗 (木曜日, 02 2月 2023 19:41)

    先ほどの投稿文のアワの献納者の名前に誤りがありましたので訂正させてください。
    正しくは、「沓掛和訓さん(村松)」です。
    沓掛和訓さんは、私の恩師である沓掛庚先生の甥御さんです。

  • #279

    櫻田喜貢穗 (木曜日, 02 2月 2023 11:37)

    今年もすでに一月が経ってしまいました。
    社会経済状況の悪化は弁護士を多忙にします。東京青木会の理事会の日程も入れられずにいます。

    そんななか、喜ばしい情報と興味深い情報が入ってきましたので、取り急ぎ投稿します。
    後者は、友人からのもので、子檀嶺神社に「蕨手文様鐙瓦(わらびてもんようあぶみかわら)」という極めてレアな歴史的文化財?があるという情報です。この文様について少し調べはじめたのですが、古代のロマンに加えてミステリアスな香りが漂い、想像力が刺激されます。時間が取れるようになったら妄想をふくらませたいと思います。
    前者は、新嘗祭(にいなめさい)がらみの情報です。
    みなさん、新嘗祭って、ご存じですか?
    昨年の宮中祭祀・新嘗祭に青木村で生産されたアワ(粟)が献納され、供えられたとのこと。このたび(1月30日)、アワを栽培して献納した沓掛和則さん(村松)に宮内庁から書状と磁器の杯が届き、村役場で渡されたというニュースを青木村の岩渕さんから伝えてもらいました。
    予め献納することを予定しての栽培ですから、さぞやプレッシャーのかかる農事であったことでしょう。沓掛さん、お役目ご苦労さまでした。そして献納に協力された村職員の皆さんお疲れさまでした。
    ところで、宮内庁は献納者である沓掛さんにどのような書状を授与したのでしょうか?
    新聞記事も役所のプレスリリースも「書状」とあるだけで、「感謝状」とか「お礼状」とは書いてなかったので、ちょっと興味が湧きました。
    インターネットで調べまくるうち、どうやらそれは「御供進証」という書状であることがわかってきました。御供進証(ごきょうしんしょう)とは、11月23日に宮中で営まれた「新嘗祭」に精米および精粟が供えられたことを証明する宮内庁掌典長からの証書のことだそうです。
    ちょっとびっくりです。感謝状とか礼状ではなくて、供えられたことの証明書だったとは!
    でも、村役場で書状が渡されたそうですから、きっと北村村長が沓掛さんのご苦労に対して存分にねぎらわれたことでしょう。それでよしとしましょうか。

  • #278

    松田隆子 (日曜日, 08 1月 2023 10:15)

    新年の初投稿、峰ちゃんの近況、お元気の様子何よりです。
    私も最近、夜空を見上げるようになりました。これが何で、あれが何と、言えるほど知識も根気もなく、ただ小さな星までよく見えると裸眼の自慢はします。

    宮原さん、遠方での仕事、素晴らしいです!珍しい景色を見せてもらいました。ありがとうございました。2週間の海外生活を聞いて、タフだなーとおもいました。先日、後期高齢者医療制度の保険証が届き、歳を認めざるをえません。5本ほどある庭木の剪定は好きで、年2回は私がやっていますが、植木屋に任るべきか…と。この1年はケガの無いよう過ごそうと思う。
    皆さん、今年もよろしくお願いします。

  • #277

    下地峰子 (土曜日, 07 1月 2023 16:14)

    穏やかに新年を迎え、Eテレのニューイヤーコンサートを楽しんだ。
    窓辺のミニトマトが赤くなった。
    昨年9月ころ、お部屋のサンタンカの鉢からトマトが芽を出し、
    ガラス窓を這いあがり(まるでジャックと豆の木のよう)、やがてたった二つの実をつけた。そのうちの一粒がルビーのようになったわけだが、種はどこから飛んできたのか?
    2日、今日はもう歩いてきた。大学駅伝を見終わって1時間歩いた。
    体が温まっていい気持ち。
    柚子を3個拾ってきた。今夜の味噌汁に入れよう。
    5日、寒い朝6時14分、西から東に宇宙ステーションが飛んで行った。
    金星みたいな輝き。それが木星くらいに小さくなって、太陽が昇る東に行くともっと薄くなって、そして消えてしまった。1分半の天体ショー。
    6日、今夜はフルムーンだって。
    雲の切れ間から白い大きな月が見えた。
    ちぎれた丸い雲が月光を浴びて、もう一つ大きな月があるように見える。

    「星の王子様」の次に、和田秀樹「80歳の壁」を美和子に読んでやった。
    つまらない本だと言う。斜め読みすることにした。
    ウクライナの戦争もコロナも早く終わりにしてほしい。
    今年もよろしくお願いします

  • #276

    宮原豊 (木曜日, 29 12月 2022 21:21)

    2022年も押し詰まって参りました。11月27日~12月18日まで、インド・バラナシ市のサールナートの初転法輪寺(Mulagandha Kuti Vihara Temple=インド大菩提会)の釈尊一代記壁画の保全修復事業のためにインドに行って参りました。13日に中間報告いたしました。
    この壁画は85年前に日本画の技法により描かれたものですが、経年劣化したために剥離止め、補彩色を施し、これで何十年かは長らえられたと思います。いずれ本格的な補修工事を要する日が来るとは思いますが、何十年間に耐えるような応急措置で、今回は民間ベースの募金とボランティアで対処したものです。今後はこの壁画の美術的な価値に対する認識が深まり、日印両国の公的な支援(技術面と資金面で)が必要になってくると考えるところでございます。
    技術的なことでは、西洋の一般的な画はフレスコ技法によるものですが、この壁画は野生司香雪画伯がインドの気候にも変色せずに耐えるように鉱物性顔料(岩絵具)を使った日本画の手法で描いたものです。そこで、この保全修復には日本から技術者を派遣して実行する以外にないと判断したわけですが、重要な文化財を守るために、東京藝大の美術品修復専門の教授の指導を受け、京都の仏教美術補修専門業者の手により保全措置を施しました。
    コロナ禍で2年延期、残りの3分の2を終わらせて、12月16日にはインド側の主催する落慶式が盛大に実施されました。プロジェクトを立ち上げましてから十数年を経て、関係者にとっては、最初は保全技術の検討、資金集め、誰に実際の工事を依頼できるのか等々、十数年越しの大願成就となりました。インド大菩提会にも大満足いただけたようで、12月16日には日印双方から錚々たる方々が集まられ、盛大に落慶式(竣工式)を開催していただきました。日印文化交流にとっても記念すべき大事業であったと再認識する場となりました。私個人としても7~8年の間協力してきたプロジェクトが完結してほっと胸を撫でおろしております。
    さて、3時間半の時差は微妙で、1週間ほどをかけてようやく普通の状態に戻ったと思ったら、もはや年末です。2023年を迎える心の準備が全く整っておりません。

    年末にあたり感謝の気持ちを込めてご挨拶申し上げます。来年もよろしくお願い申し上げます。

    今回の落慶式の模様など、13日の続きの写真を数点、アップさせていただきます。

  • #275

    櫻田喜貢穗 (木曜日, 29 12月 2022 14:15)

    2022年(令和4年)の年末、思うに終始不穏な年だった。
    コロナ・パンデミックの第6波から始まった今年は、2月4日にロシアがウクライナに侵攻。ウイルスだけでなく、人が人を殺す事態。多くの人が「惨事ストレス」に悩むことになった。
    7月8日の安倍元総理に対する蛮行は、久しぶりに旧統一教会を歴史の表舞台に引っ張り出し、癒着を暴かれた政治家を慌てさせ、この国の政治のレベルの低さを露呈させた。聞く力などないことがばれた岸田内閣の支持率は落ち続け、大臣4人と杉田水脈政務官更迭。ガタガタのまま年末を迎えた。
    コロナの脅威が身近に及んだ夏は肝を冷やしたが、パンデミックはいっこうに収まらず、ついに第8波に達し、年を越す。ウクライナでの戦争はロシア発のエネルギー危機と物価の高騰を招いたが、これらもわれわれの生活に脅威を与えたまま年を越すことになる。
    何の因果かこんな年に後期高齢者になったが、高齢の主権者にとって何かいいことがあったか?
    何もいいことが思いつかない。

    そのうえ、楽しみにしていた大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が終わってしまった。どうやらこの寂しい気持ちを「ロス」というらしい。こんなふうになるとは思いもよらなかった。
    10月、11月になると義時の「ワル」は迫力を増し、徐々に悪妻<のえ>でさえも押され気味になるうち、私はいつしか承久の乱で勝ち残る義時の最期を想像するようになった。三谷幸喜は義時をどのように死なせるつもりなのか? 私が推測した主犯はやはり<のえ>だった。プライドを傷つけられ、息子もないがしろにされている。あの手の女の恨みは恐ろしいものだが、義時は女の怖さを知らない。無知ゆえに足元をすくわれるのはやむを得まい、などと思っていたのである。
    最終回もまさにそうしたペースで話が進んでいるように見えた。三浦義村との共犯関係もうなずけるものであったし、緩やかな毒殺も妥当な方法だった。ところが、である。三谷幸喜は、姉政子(尼御前)の義時に対する究極の憎しみと哀しいまでの愛情を最後まで取っておいたのである。姉による濃密極まりない弟殺し。アッと驚く殺人シーン。政子が義時に引導を渡してドラマは幕を閉じた。
    義時の義母リクを演じた宮沢リエは、最終回を見終わって、「最後のシーンの政子には、弟義時への愛しか感じられなかった」とつぶやいた。もう小四郎には殺しをさせたくないということか。
    「鎌倉殿の13人」は、執権北条の家族の物語であったが、究極的には姉と弟の物語であったのだと思う。
    これで、尼御前の小池栄子は名優の仲間入りだろう。旬くんの義時は大当たりであった。小栗旬は明らかに成長を遂げた。それにしても三谷幸喜の才能には驚嘆する。

    みなさま、良い年をお迎えください。
    来年は総会でお会いしましょう。

  • #274

    櫻田喜貢穗 (木曜日, 15 12月 2022 20:19)

    11月30日、かのえ先生の葬儀に参列した松田隆子さんが、斎場の入り口に展示されていた写真をスマホで送ってくれました。
    その中に、教え子たちが卒寿の祝いでかのえ先生を囲んでいる写真がありました。写真をパソコンに移動させて拡大してみると、いくつか懐かしい顔(本田澄江さんや若林敏子さん)があって、左上に「むねちゃん」を見つけたのです。

    むねちゃんは、体格抜群、風貌もおおらかで、優しい上級生でした。
    うちが近所というわけではなかったから一緒に遊んだわけではありません。おそらく小学校から帰る途中の2つ上のお兄ちゃんに臆することなく声をかけ、ちゃんと応答してもらったことで信頼を寄せるようになったのです。小6のむねちゃんは児童会の会長で、小4の私は学級委員でしたから、会議で顔を合わせたと思いますが、私はその前から、「この人は安心できる人」と認識していたのでした。
    中学に入ると、むねちゃんは生徒会の副会長を務めていて、生徒会の活動で顔を合わせることもあったわけですが、そろそろ自意識が生まれ始めていたのでしょう、気軽に接することはできなくなってしまいました。それでも、小中学生時代に優しくて信頼できる先輩がいたという記憶は、60年経っても失せなかったようです。写真を見た瞬間に「むねちゃんがいた」と思ったくらいですから。

    「むねちゃん」というのは、田沢の西禅寺の宮入美嗣氏(いまは坂城町の福泉寺の元住職宮入宗乗老師)のことです。
    「むねちゃん」を60年ぶりに発見した私は、情報通の従妹(佳代子)に電話を入れて、「西禅寺のむねちゃん」の消息を尋ねたのです。さすがに佳代子さんです。坂城町のお寺で住職をされていること、庚先生の告別式に僧侶の姿で佇んでいたことを教えてくれました。
    翌日、私は宮入宗乗老師に「むねちゃん」と呼びかける手紙を書きました。老師から「沓掛庚先生がこの尊いご縁を結んでくださった」と返事がきました。
    旧交復活です。

  • #273

    櫻田喜貢穗 (木曜日, 15 12月 2022 19:52)

    宮原さん、ネットの接続が悪く、なかなか投稿できなかったとはいえ、インドからちゃんと届きました。原理はさっぱりわかりませんが、インターネットおそるべし。
    壁画の修復作業の写真を拝見しました。壁画は相当な大きさですね。野生司香雪画伯の独特の淡い色調が垣間見えます。修復が完成したら見事なものになることでしょう。完成した壁画の写真もお願いします。
    それにしても、このご時世に、インドにわたり、ボランティアで壁画修復作業の助監督をするというのは、やっぱり相当格好いいと思いますよ。
    元気で帰ってきてください。

  • #272

    宮原豊 (火曜日, 13 12月 2022 22:10)

    11月27日に日本を発ちインドのバラナシ・サールナートの初転法輪寺の、経年劣化した日本画の仏伝壁画の剥落止め保全処理のために12月18日帰国予定で出張しています。出張と言っても持ち出しのボランティア活動です。ガンジス川に近くヒマラヤからの風も冷たいので(日本ほどではないですが)寒いです。仕事はほぼ終わり、明後日には完成前夜祭、16日は印日双方から錚々たる人達が参列し厳かに落慶式が執り行われる予定です。故平山郁夫画伯も高く評価した野生司香雪(のうすこうせつ)画伯の作で、世界中の仏教徒が参詣する仏教発祥の地を象徴する寺院のある作品ですから、その保全には神経を使います。85年前に完成した、今では世界に誇る海外にある日本の文化財です。それも美術館に飾られている壁画ではなく、毎日何千~何万の人々が訪れる寺院の本堂内にあります。2019年に第一期工事を実施し、コロナで中断され3年ぶりに第二期・第三期を一気に実施しました。久しぶりのインドでのホテル暮らし、3週間にわたるお寺での仕事で、疲れてきました。でももう直ぐ帰れそうです。
    ネットの接続が悪く、なかなか投稿できませんでしたが、後で何枚か写真を添付します。

  • #271

    松田隆子 (金曜日, 09 12月 2022 22:28)

    先月30日、3年半振りの青木村へ。青木三山がいつも通りに迎えてくれました。
    小春日和のなか、かのえ先生にお別れをしてきました。
    祭壇の遺影は、左手を肩の高さにこちらにタッチするようにして、明るくほほえんでいました。脇に置かれた同じ写真の手に、ぎゅっとタッチしてきました。何ともいい写真でした。そして大勢の方々がお別れに見えていました。
    もう会えないという寂しさに浸って過ごす毎日です。

  • #270

    櫻田喜貢穗 (水曜日, 30 11月 2022 11:51)

    小学4年だから65年前のことになるが、遠足は子檀嶺岳への登山だった。
    そろそろ登山道が急になり始め、ほぼ一列縦隊になって登りだしたころ、少し前方にいた担任の先生が登山道と傍らの藪を素早く、激しく動きまわり、やがて1メートルほどの棒の先に数十センチの蛇をぶら下げて藪から出てきて、それを棒ごと谷底に放り投げた。そして、何事もなかったように隊列に戻り、みんなにゆっくり登っていこうと声をかけた。
    後日、何気なく先生に「あの蛇は何だっただい?」と尋ねた。すると、「みんなおっかながるから黙っていたけど、マムシだった」とのこと。とたんにあのときの状況が蘇った。子どもたちの隊列にマムシが出没したのだ。そういえば先生は必死の様子だった。子どもたちを守らなければならない。その思いで先生はマムシに立ち向かったわけだ。子ども心に先生の責任感はすごいものだと思った。守られていると感じたことを覚えている。

    11月28日の早朝、青木村の岩渕さんと実家の妹からほぼ同時に訃報が届いた。
    沓掛庚先生が亡くなられたという。数年前にお会いした時にはまだ矍鑠としておられたが、ついに逝かれてしまった。享年102。
    訃報を聴いたとたんに、子どもたちを引率して子檀嶺岳に登る65年前の姿-マムシとの格闘シーン―を思い出した。小柄なのに勇敢な先生だった。
    今朝(30日)、深谷市在住の松田隆子さんから「告別式に参列してきます。キクちゃんとミネちゃん(下地峰子さん)の分も拝んでくるから。弔辞をよろしく」と電話があった。三人とも4年の時の庚先生の教え子である。「弔辞を」というのは、東京青木会のブログに投稿せよとの指示であると理解した。
    本日午後の告別式に参列することは無理だから、東京からお別れをすることにした。
    かのえ先生、どうぞ安らかにお眠りください。合掌

  • #269

    松田隆子 (水曜日, 23 11月 2022 11:07)

    沓掛さん、カレンダー情報をありがとうございました。手配しましたので届くのが待ち遠しいです。朝に晩にごはんを食べる位置から、カレンダーを眺めては青木村に思いを馳せています。

  • #268

    沓掛正一 32年3月卒 (火曜日, 25 10月 2022 21:58)

    青木村は急に冷え込みが強くなりました。夫神岳の上半分が大分色付いてきました。
    今回はマツタケの話題をお届けします。
    青木村にある「道の駅あおき」はマツタケで有名なことはご存知でしょうか。マツタケを買うために県外からもお客さんが大勢訪れます。また、「食事処こまゆみ」の松茸ご飯を目当てに開店前からお客さんが並びます。その「道の駅あおき」が「まつたけ酒」を販売しました。720ml瓶で1,880円です。ワンカップサイズも有ります。興味のある方は、ご家族・ご友人が野菜や果物を送ってくれる際に入れてもらってください。

  • #267

    松田隆子 (土曜日, 22 10月 2022 09:22)

    目の覚めるような青木村の青空、三山、花ばな。いつも、元気が湧いてきます。
    そして「あぁ、青木へ行きたい」と強く思います。ぐずぐずしていると、また八波が来てしまうと焦ります、しかしすっかり出不精になって、腰が上がりません。
    この便りの写真を見て、腰も上がりそうです。
    岩渕さん、ありがとう!
    宮原さんに続いて「フレー、フレー、あおき!」

     会長、副会長のお元気な姿を拝見し、安心いたしました。
    来年こそは集いが開かれるよう願っています。

  • #266

    宮原豊 (月曜日, 17 10月 2022 22:07)

    埼玉県のあるショッピング・モールで「長野県物産観光展」が開催されていました。私は用があったので一緒に行けなかったのですが、家人が行って、昼食用に各種のおやきを買ってきました。キノコ、ナスとか5種類ぐらいありましたが、3種(3個)をいただき、丁度良い(軽めの)昼食としました。ニジマスの干物も夜のビール・酒の肴に最適でした。
     そこに配置されていた「信州上田地域の旅:まち歩きガイドブック」(まち歩きのススメ、モデルコース多数掲載)をもらってきました。このガイドブックはなかなかの優れモノです。発行は上田地域観光協議会で、上田市、東御市、青木村、長和町で構成されているようです。写真を掲載しましたが、文量・写真ともに青木村のことが比較的多いように感じます。最近は、上小地域ではなく上田地域と、やはりこの方が関東では名前が通っているようです。小県郡はほぼ死語になり、消えていくのかもしれませんが、それならなおさら「青木村」と単独で頑張っていることは目立ちますね。写真のように、上田市・東御市・青木村・長和町の4市町村しかないのですから。フレー、フレー、あおき!

  • #265

    宮原豊 (日曜日, 16 10月 2022 22:24)

    20221008  東京上田会に出席しました。

     2022年10月7日、東京上田会の「信州うえだ東京の集い」に、櫻田会長と宮原副会長の2名が参加しました。コロナで3年ぶりの集いとのことで、80名の会員、それに来賓が38名参加。さすが地域の中核都市ですから多士済々の会員と衆参国会議員、市議会議員、JA等関係団体役員などの来賓が集まりました。会費は8,000円ですが、会場は浅草ビューホテル、立派な会場でした。収支については聞きませんでしたが、企業からの寄付もあり、余興も素晴らしいものでした。しかし、120名からの参加者で時間は2時間ほどに制限され、真似をしようとも張り合う気持ちもありませんが、3年ぶりに人と人が交流するには忙し過ぎるように感じました。

     この場で、東京青木会の方々にお会いしました。長く東京上田会の理事に名を連ねるMM先輩、出身高校同窓会の役員として参加していたSYさん・NMさん姉妹やMN先輩です。お聞きしましたら、東京青木会の「集う会」や同好会の開会を心から待ち望んでいますとのこでした。東京青木会のホームページはいつも見ておられるとのことで、今後も気長にお付き合いをいただきたいと思いました。

     帰り際に来賓で出席していた落語・三遊亭鬼丸師匠に挨拶しましたら、青木村出身の芸人MOROHA(モロハ)と親しくしているとのことで、東京青木会のホームページを見てもらうようにお願いしました。

     写真は別途貼り付けました。以上、簡単ですが、ご報告いたします。

  • #264

    宮原豊 (火曜日, 11 10月 2022 21:27)

    今日放映されたBSテレビ東京の錦鯉「健康長寿をのバス旅」(長野県・青木村と高山村)、なかなか面白かったです。笑って、青木村の旅を楽しみました。「故郷を巡る旅」の復活を願っています。
    それにしても、青木村役場の多田治由(はるよし)さんの好演に、錦鯉のコンビもトリオでどうか、と言うくらいに面白かったです。元気な年寄に元気をもらいました。

  • #263

    櫻田喜貢穗 (土曜日, 24 9月 2022 17:42)

    キノコのシーズンが来た。今年の松茸は豊作だという報せが青木村から入った。
    松茸でなくてもいい。子どものころ採ったアミタケ、リコボウ(ジコボウ)、キシメジ、クリタケで十分だ。何十年たっても採取した場所を忘れずにいる。

    三谷幸喜の「鎌倉殿の13人」。
    先々週、北条義時に第三の女「のえ」が現れた。演ずるは菊池凛子。
    義時が差し出した笊に盛られた雑キノコをみて、「私、キノコ大好き!」と歓声をあげ、義時を嬉しがらせたが、侍女の集まる自分の職場に戻ると、だらしなく姿勢を崩して、同僚の侍女たちにむかって、「キノコなんか大嫌い。持っていっていいわよ。誰でも」と、はすっぱな本性をあらわにする。下心を隠した非の打ちどころのない「のえ」とすれっからしで野心満々の「のえ」。表も裏も、鮮やかに演じる。
    何本も大河ドラマを見てきたが、「のえ」が登場したときほどインパクトがあったことはない。脚本がいいせいだろうが、それにしても菊地凛子は怪演である。
    これに対し、義時の旬くんは、だんだん「ワル」が様になってきたが、いまは菊地凛子に完全に食われている。役者が違うという言葉があるが、まさに役者が違う。旬くんがくすんで見える。「頑張れ!」と言っても、もう収録は終わっているから、手遅れか。

    執権北条時政は、後妻の「りく」に翻弄されている。時政は坂東彌十郎、「りく」は宮沢りえ。この夫婦の悪逆非道ぶりは見応えがある。うまいものである。
    「のえ」にたぶらかされる義時、「りく」に翻弄される時政を見ていた小6の男子が「女は怖えな」とつぶやいたら、一緒に見ていた中二の姉が「女には気を付けた方がいいよ」とアドバイスをしたという話を聞いた。いい姉だ。
    私には姉はいなかった。そのせいか、よく女性に甘いといわれる。

  • #262

    櫻田喜貢穗 (火曜日, 13 9月 2022 14:23)

    コロナが流行り出してから、せがれが毎朝車で事務所や裁判所まで送ってくれます。
    日比谷の交差点から日比谷公園を左に見て、祝田橋交差点から内堀通りに入ると、旧法務省の赤レンガ庁舎が眼に飛び込んできます。
    昭和63年10月30日午後3時ころ、赤レンガ庁舎の南西の壁に司法試験の合格者名が張り出されました。このときが私の法曹人生の始まりでした。だから赤レンガ庁舎のあたりが法曹としての出発点のような気がして、毎朝そのあたりを通るたびに「初心を忘れるな」と自分に言い聞かせます。すると亡き父母がほほ笑んでくれるのです。

    初心を忘れることなく法曹人生を歩んできたと思います。そのため、財を成すことのないまま歳を重ねてきました。それに、まだ「知」も不足しているようで、まもなく後期高齢者になるというのに、疑問に思うことや不可解なことが尽きません。困ったものです。
    その一、
    強い国家を作りたいと叫ぶ人、国と国民を守るためには強い国家でなければならないと主張する人ほど、少数者の人権をないがしろにし、弱者に冷たいのはなぜか?
    その二、
    日本を美しい国であると賛美し、愛国者であることを標榜する人が、反日を標榜する反社会的なカルト集団とズブズブの関係になる、しかも、その総元締めになるというのは、どういうことか?
    その三、
    一貫して自分に反対する民意は無視し、国会で嘘八百をつきとおし、モリ・カケ・サクラ疑惑について何ら説明できず、その富の70%を日本から吸い上げた他国の反社会的カルト教団を支え、その広告塔になった人に対し、どうして「民主主義を守った人」だなんていえるのか?

  • #261

    櫻田喜貢穗 (木曜日, 01 9月 2022 14:46)

    「我が父母」はいなくなって久しい。「故郷の空」は空間的な距離は変わらないが、心理的、時間的にはずいぶん遠い空になってしまった。時間も空間もしっかり認知できるうちに故郷に帰らなければと思う。

    9月に入ったので、「青木村100の会」制作のカレンダーをめくったら、荘厳な子檀嶺岳を背景にして色鮮やかに「秋さくら」が咲き誇っていて、その右側には小さめだが、「松茸フィーバー」の写真があった。今年はフィーバーなるか?

    橋本和幸君(昭和31年生まれ)が松茸名人であることをインターネットで知った。和幸君の祖父(牧太)は、私の祖父亹男(ヨシオ)の弟であるから、同君と私は「またいとこ」であるが、彼が名人だとは知らなかった。グーグルで青木村・松茸で検索したら名人が登場してきたわけだ。インターネットおそるべし。

    亹男と牧太は東筑摩郡本城村の橋本家に生まれた兄弟であるが、大きな共通点を挙げるとすれば、趣味を生かし人生を楽しんだことだ。
    亹男の趣味は自然系で、樹木(果樹)・動物に向けられた。養豚やミツバチの飼育は収益も伴ったが、タヌキを飼い、小鳥を捕獲し、池を穿ってコイやフナや金魚を育てた。庭の果樹は、リンゴ、柿、小柿、イチジク、ザクロ、梅、ナツメ、クルミなど多種多様であったから、子どもの私は食えるとわかると青いうちから手を出した。
    これに対し、牧太の趣味は文化・芸術系で、書をよくし、絵を描き、古典をたしなみ、レコードを聴き、バイオリンを奏でた。私に初めて蓄音機なるものでレコードを聴かせてくれたのは牧太じいさんだった。宮城まり子が「毒消しゃいらんかねェ」と唄っていた。
    亹男の自然系の趣味が息子の康三(私の叔父)に伝わったことは確かであるが、牧太の長男幹次は鳥獣を射ていたから、幹次にも伝わったのかもしれない。幹次の二男が和幸君である。和幸君は子どものころ蛇を捕まえるのが得意だった。いまは、松茸名人であるほか青木村の鳥獣被害対策実施隊の隊長(ちなみに副隊長は兄の英俊君)の責務を負っている(広報あおき4月号)。牧太の文化・芸術系ではなく、亹男の自然系の趣味が和幸・英俊兄弟に伝わっているように思えてならない。

  • #260

    松田隆子 (土曜日, 27 8月 2022 17:05)

    峰ちゃん、ありがとう!
    そう、そう。
    この歌、好きなんですよ!

  • #259

    下地峰子 (土曜日, 27 8月 2022 14:37)

    スコットランド民謡
    「故郷の空」です。

  • #258

    松田隆子 (土曜日, 27 8月 2022 11:30)

    今年の夏も終わりが見えてきました。夜には虫の声も聞こえてきます。この時期になると、頭の中では「夕空晴れて秋風吹き月影落ちて鈴虫鳴く~思えば遠き故郷の空~あぁ我が父母如何におわす~」がエンドレスで流れます。題名は忘れましたが、岩渕さんが送ってくれた青木村の風景と、実家の周りの景色が浮かんでいます。
    短い秋を楽しみたいとおもいます。